私は米国に来て長く経ちます。これまでの米国での研究生活を振り返るのも悪くなかろう、ということで初心に帰るつもりでそんな文章を書いてみました。世の中では、いわゆる「成功者」の話というのは、メディアや大学の広報など、あちこちで見かけます。ある人は本を書いたりしているでしょう。

ところが、失敗者の話というのは、ほとんど見かけることがない。あっても、断片的であるために、一体、何が問題だったのか、よくわからない。大学や文科省などは、成功者でなく、むしろ失敗者や辞めざるをえなくなった人たちが、どうしてそうなってしまったのか、という点をよく理解することで、そうならないための仕組みをつくることが大切であると思います。

私が意図しているのは、私の失敗談を単なる「個人の問題」として捉えるのではなく、そこにある「社会のあり方の問題」として考えていただければということです。そして、昔と今を比べることで、昔の問題が何だったのか?そして現在の問題が何なのか?更に、最終的に失敗者となる私がどのように失敗者となっていったのか、未来ある若い人たちに、そしてリーダーたちに考えて欲しいと思っています。

年末にかけて、私の留学記パート1(1994年まで)までの「サクセスストーリー」を書きました。これは、まだ序章に過ぎません。この続きは、いつになるかわかりませんが、この後、40回分のブログの内容があるということになります。

http://masahito-yamagata.hatenablog.com

既に、昔、人事がどのように行われていたのか、についてその利点と欠点などを考えることができるのではないでしょうか。

そして、残りの40回分の中では、例えば、こんな問題を具体例を通じて見出すことができると思います。

1. 分野や研究内容を大幅に変えた人はどのように評価するのか?誰が複数の分野を評価し処遇するのか?昔の研究は、分野を変えると「無」になってしまうのか?
この仕組みを議論しないと、分野横断的、学際的な研究が発展しません。I型人材ではなく、T型、更にはΠ(パイ)型、H型人材の重要性が叫ばれる現在の大きな問題であると思います。

2. 自分の恩師が関与できない時(高齢、死亡、面倒を見ないという性格など)、その人の面倒は誰がみるのか?大学人事の流動化で、教員がいなくなってしまう、講座がなくなってしまう時代。このような時代に、潰れたラボ出身の出身者は誰が面倒をみるのか?あるいは面倒をみないのなら、すべての研究者が平等に扱われなくてはならないでしょう。

3. 見えない講座制の論理の問題?
日本では、講座制の問題がいろいろ議論されていますが、「見えない講座制」の論理があちこちで観察されます。例えば、AさんはB先生の弟子であるというような論理です。その結果、Aさんには関係ないのに、コミュニティがB先生への昔の恨みをはらそうとしてみたり、あるいは忖度したりする。こういうことをどう考えるのかということです。