年の瀬です。「此頃都ニハヤル物、」で始まる「二条河原の落書」というと、建武元年(1334年)、二条河原で話題になったという日本史では有名な史料です。
原文から。https://ja.wikipedia.org/wiki/二条河原の落書

=================================================================
非職ノ兵仗ハヤリツヽ 路次ノ礼儀辻々ハナシ 
花山桃林サビシクテ。牛馬華洛ニ遍満ス。
(中略)
サセル忠功ナケレトモ 過分ノ昇進スルモアリ 
定テ損ソアルラント 仰テ信ヲトルハカリ
=================================================================

現代語訳文 http://historykennel.blog.fc2.com/blog-entry-45.html より引用させていただきました。
「兵士であっても職がない、そういう輩が増えている。辻で出会えば挨拶の、かわりに噂をひそひそと。ちょっと田舎に行ってまで、風雅を愛でる人もなく、公卿も武家も京にいて、保身出世に奔走す。(中略)さして手柄もないけれど、いつの間にやら大出世、そんな男も中にいる。落ち度があれば必ずや、損してしまうことになる、そう考えてすることは、上司にゴマをするばかり。」

日本ではバイオ系の大きな学会が開かれているということで、そこで見かけるだろう「落書き」。

=================================================================
博士であっても職がない、そういう輩が増えている。学会で出会えば、挨拶のかわりに噂をひそひそと。
地方はとても貧しくて、学問もできず。教授も学生も都会にいて、保身出世に奔走している。
(中略)
たいした業績もないのに、いつの間にやら大出世するものもいる。
少し落ち度があると潰される。考えているのは、上の信用をえるために、媚びたり忖度することばかり。

=================================================================

別の「落書き」を見かけました。

=================================================================
日本の研究競争力がなくなってるのはビッグサイエンスに偏ってるから
https://anond.hatelabo.jp/20171206092117
=================================================================

これに対して、「日本の科学と技術」さんがこう書かれています。
https://twitter.com/scitechjp/status/938413141439819777
「サイエンスのブレークスルーを作るのは、トップダウンのビッグサイエンスではなく、個人の頭の中のユニークなアイデア。どこの誰がどんな面白いことを考えているかは予測がつかないから、最低限の研究費を薄く広くばら撒くのが一番いいお金の使い方。億単位の予算を一人につけると無駄になること多し。」

全くその通りだと思うのです。ただ、ビッグサイエンスというのは、時に家内工業のようなスモールサイエンスを守るための「方便」として利用されていることもあるので、表面だけ見て判断をするのも、危険な議論だとは思うのです。

昔、亡くなった岡田節人さんが、生物学にはビッグプロジェクトがないから、素粒子物理学のように予算を引っ張ってこれない、というようなことを言っていたのを思い出しました。まだ、ヒトゲノムプロジェクトなどがでてくる前でしたが。。

ビッグサイエンスは、おそらく成功すると約束されたような状況で、確実かつ計画的に大きなまとまった予算が取れる。うまくいかなくても、成功と見せかける予防線を張っておくことも常です。ビッグサイエンスの一部ということで、この予算の一部を何らかの形で分配できればスモールサイエンスも助かるわけです。

一方、スモールサイエンスは計画しにくいし、不安定であるということでしょう。

もっとも、日本のある分野では、こういう「見せかけ」の手法の中毒みたいな感じになっているのではないか、と思うのです。そして、こういう見せかけの中毒になってしまっているので、それに関わる様々な研究者コミュニティの「しがらみ」がでてきてしまうのでしょう。

christmas_zangyou