[神経科学者SNSより改変]
例えば、Aという国の産業が発展していないというネガティブな評価があったとする。こういう場合、発展していないという悪い評価をされたAという国にお金を援助する。そういうことで、その悪い評価を良い評価に変えようとするというのが常識的な考えだと思います。

それと対照的なのが、日本の研究関係、大学、研究所、研究室レベル、更には研究者レベルでもそうだと思うのです。悪い評価がつくと、それは悪くて使い物にならないので、援助を打ち切るということになる。この違いというのは、どこにあるのでしょうか。是非、よく考えてみてほしいと思うのです。

また、プロ野球チームやサッカーチームで、弱くて負けてばかりいるチームがあったとする。こういうチームを強くするにはどうしたらよいのでしょうか。。負けてばかりいるので、ダメだということで、スポンサーもなくなる。お金がないので、良い選手が他所のチームに移籍してしまう。十分なトレーニングもできない。安い食べ物ばかり食べる。試合に集中できなくなる。こういう状態ですと、士気は下がる一方で、こういうチームが強くなるとは思われません。

国立大評価委、東大・和歌山大に低評価
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO23752450R21C17A1CR8000/
「「遅れている」と評価された東大は分子細胞生物学研究所の教授らによる論文のデータの捏造(ねつぞう)や改ざんが発覚したため。和歌山大は教員の給与体系の見直しが大幅に遅れているとして「業務運営」で「遅れている」と評価された。」

ネガティブに評価された大学はどのようになるのでしょうか。

ダメだから、その駄目な部分を改善するために、お金を与えて支援するのがよいのか。
逆に、ダメだから、懲らしめるために、お金を奪って干すのがよいのか。。


また、これと別の問題として、研究不正が「発覚」すれば、低評価となる。いじめ対策に積極的に取り組んでいる学校ほど、いじめが沢山報告される。逆にいじめ対策に取り組まなければ、いじめは発覚しない。ネガティブな評価というのも、そんなに単純なものではないように思います。

ネガティブなものを低く評価し、それを罰する。あるいは、ネガティブな評価だからこそ、それを改善するために援助する。こういうのをどう考えたらよいのでしょうか。。もちろん、それぞれによって事情は違うので、一般論として論じることはできませんが、ネガティブな評価だからといって即ダメと捉えず、立ちどまって深く考えてみるという態度は大切なように思います。