私は長期間にわたって、日本国内だけでポストを探してきました。しかし、うまくいくことはありませんでした。

現在、私が過去において経験してきたことを中心にして、「日本の大学や研究機関の人事を斬る」ということで、以下のような内容でブログを作製中です(最終的には、具体的な大学名などを入れて公開します)。文章になるのは、しばらく先になると思いますが、これを見て、こういう問題もあるのではないか、というような点があったら、是非、知らせていただければと思います。直接メールを送付してくださるか、下記のコメント欄に書き込こんでください。

1. 大学教員の世代間格差と同世代の不公平感
昔のシステム(終身雇用的)と新しいシステム(任期付)が共存していることによる社会矛盾。
世代間格差は許容できるだろうが、同世代での不公平感は問題。

2. ローカル・ルール
応募意欲を著しく削ぐ公募。応募書式の機関ごとの様式や提出書類による応募妨害。
郵送料が高くて海外から送付できない。
応募意欲を削ぐことで、出来レースを達成するのが目的なのではという強い疑念。
こういう応募の妨害行為は文科省が大学等を指導して止めさせるべき。
全国共通の書式を作り、電子的に応募することを基本にするべき。
人事選考プロセスの不透明性。最初の応募はできるだけ多くの人にしてもらうのがよいのでは。
絞られた段階あるいは決まった段階で、正式な書類を作製すればよい話。
海外からの応募を妨害するというのは、国際化などナンセンスだと言っているようなもの。
海外から候補者をジョブトークに呼ぶ場合、旅費が支払えないのなら、スカイプ等によるインタビューも可能。出来レースなのに当て馬のように使って、旅費や研究時間を無駄にさせる負担を強いるのはやめてほしい。
こういうローカルルールが改善できないのは、学長のリーダーシップがないから。

3. 誰が人事の責任者なのか?
誰が研究者の育成あるいは失敗の責任を持つのか?
公募の応募に関するやり取りに、「責任者」の実名がないという非常識。
常に「責任者」を曖昧にして、責任を回避しようとする日本のシステム。
(学校教育法を無視した)講座制の問題。
大学等の運営を妨げる「居座り教員」(教授退官後も学科に准教授などとして留まる)の出現はなぜなのか。
チェア(学科長など)の運営評価(人事と育成)という観点がない。
リーダーシップやメンタリング能力を評価せよ。
テニュア獲得や昇進に失敗する研究者が続出すれば、それはリーダーシップの責任でもある。
リクルートする研究所長がジョブトークに来ているのに、挨拶がないという不可解な体験。
ジョブトークの際に、候補と関連した分野の教員の紹介がないといった扱いは、インタビューとして問題があるのでは(米国なら、学科の主だった教員と、個別の会話の時間が設定されるのでは。少なくとも、挨拶が全くないというような事務的な試験のような扱いは、研究者の扱いとして変であると感じる)。
人事についての疑問は、責任者が堂々と対応、説明できるものであるべき(例えば、公募人事が内部昇進に利用されるとか、言い訳ばかりでは説得できない)。

4. 不透明な人事:なぜ隠そうとするのか?
なぜジョブトークを公開しないのか。
推薦者に連絡を取らず、推薦者が活躍する機会を与えない。
多くの応募者に話を聞くべき(論文、推薦、評判だけでは判断できない学術的背景もある)。
コネ人事では非公開情報をつかんでいる(まもなくアクセプトされそうな重要論文があるなど)。
コミュニティのネガティブな意見は慎重に扱う必要がある(ネガティブな意見を広めて、自分の関係者を推す、あるいは自分自身の既得権益を守ろうとする研究者が多数存在する)。
日本国内で誰がジョブマーケットにいるのか、わからない。これを明確にするべき。
売り出し中の研究者を確実に短期間に処遇することで、無駄なく研究に集中させることが重要。
いつまでも処遇しないと、モチベーションや勢いを失わせる。うつになり、研究への好奇心を失う。
職探ししている人を隠し誤魔化そうとするコミュニティの存在。
なぜ決定された人事を正式な着任まで隠すのか。
既成事実を作ってしまうことで逃げ得なコネ人事ではないのか。
例外的に公開するケースもあるが、大抵、超スター級研究者の場合である。
権力者が一方的に得するための人事。

5. 潜在的な「出来レース」
護送船団方式になっている大学や研究機関のヒエラルキー。
実は、研究者のコミュニティが制御している。
これでは、大学間のリクルート条件提示などによる競争が起こらない。
応募者にはポスト選択の自由を与えない(複数オファーを出さない)。
国内の大学の序列は永遠に守られる。
権力者が人事を通じて権力を確認、誇示するためにあるのではないか。
出来レースの本質は、例えば出来レースをやってリクルートしたという新任教員の「弱み」を握ることで、後で指示に忠実で従順な研究者をコミュニティに取り入れるという権力構造が背景にあるのではないか。
国内研究者について、研究者配置の最適化という観点はあっても、敢えて「競争的な状況」を作るという配置もあってよい(学問上の競争者が、同じ大学や研究機関にいるというような状況を作る)。

6. テニュア制の本質を理解していない日本型「擬似」テニュア制を考える
講座制やコミュニティの力を借りる日本型擬似テニュアトラックの問題。
講座制内部や関連講座(同門、仲良しクラブ)での業績をカウントするのは、ギフトオーサーシップ(研究不正)を蔓延させる。
米国の場合は、過去のPIとの共著論文はテニュア審査の業績としてカウントされないのが基本。
日本のやり方では、個人の研究の力量を測るのではなく、ギフトオーサーシップの作り方など、「コネの多さ」といった研究の本質とは違う要素を測ることになる。
研究者個人の力量を育成しないことになり、研究者の独立性を促進しない。
ただ、米国のテニュア制にも科学研究推進の観点からは問題が多い。

7. 日本の人事過程と手法は時間の無駄。研究者を潰す。
人事など1時間もあれば決定できるのではないか。
少なくとも絞り込むのは簡単。
できないのなら、そんな選考委員は能力がないので首にするべき。
なぜ数ヶ月も要するのか?
コミュニティで調整して複数のオファーを出さないため。
応募してきた他の候補者を他に誘導するといった「人事のゲーム」をやっているのだろう。
助教授人事決定までに2年近くを要した非常識な人事を体験。
人事は、教育や科学研究推進のために行うべきであって、「ゲーム」や「いじめ」は不要。
一番簡単なのは、「出来レース」のように人を騙すというような不誠実な手法を使わず、直接リクルートすることなのでは。

8. 人事は民主的であるべきか。
「大学自治」と学長人事の問題。
なぜ医学部、工学部出身の男性学長ばかりが誕生するのか。
権力志向の強い医学部、工学部出身の男性学長が問題を起こす日本という国。
なぜ女性の学長が少ないのか。特に、文学部出身の女性学長の出現はかなり困難。
(社会を変えたくないだけの構成員による)多数決では、社会は変わらないので、理事会がもっと多様性の観点から学長人事を行うべき。
これは、通常の人事、アファーマティブ・アクションを「責任者(チェア)」が行うということにも関係している。