2015年度のノーベル生理学・医学賞は、北里大特別栄誉教授の大村智博士ら3名に授与されることになりました。メディアでも沢山報道されているように、多くの人々を救ったという功績、大村博士の様々な人柄、美術や教育についての思いが感動を呼んでいると思うのです。私も、そのようなメディアの報道を見て感動しました。日本では、千円札の野口英世博士が、献身的な努力で医学的貢献をし、今なお、大きな尊敬を集めています。おそらく、50年くらい経つと、大村博士はお札の人物になるかもしれません。今回は、断想として、少し感じたことを書いてみたいと思います。いつものようにネガティブな視点からポジティブなものを導き出そうとするわがまま論議です。

対 再生医療(少数のお金持ちのための医療)

日本でも米国でも先進国では、再生医療というのが、先端医学の研究内容として注目されて、多くの研究費と人材がつぎ込まれてきています。結局、こういうのはお金持ちの国の少数のお金持ちのための医療研究なのだと、改めて実感しました。視覚障害の治療と言うと、ノーベル賞発表の前後に、神戸での網膜のiPS細胞を使った再生医療の臨床研究、英国でのES細胞を用いた網膜の再生医療(BBCの報道)、あるいは米国での網膜への遺伝子導入による治療(SPK-RPE65)などの報道が行われていたわけです。もちろん、再生医療や遺伝子治療の対象となっている視覚障害の原因は、寄生虫によって生じるオンコセルカ症(河川盲目症)で失明等の視覚障害が生じるものとは違います。そして、再生医療も遺伝子治療も未来の医療としては大切であるわけですが、現状としては、極めて少人数の患者さんを対象にしたものに過ぎないということがあるわけです。しかも、その治療効果も劇的というわけではない。こういうものと較べた場合、寄生虫により世界で年間2-3億もの人々が抱えていた失明の危機(世界の感染者数は約1800万人、失明者は27万人)、1年に1回服用するだけで劇的な効果があるというイベルメクチンという薬の作製というのはやはり意義が大きいのは、その恩恵に預かる人数から言えば明確です。

そういう意味で、先端医学研究の対象となる再生医療というのが、どういうものなのか?功利主義という倫理に基いて考えた場合、どこに研究費を配分するべきなのか、というのを改めて考えさせる受賞であったと思います。この受賞が、「格差問題」を示唆しているとか、WHOの「顧みられない熱帯病」への取り組みを意味しているとか、そういうことなのですが、それぞれ西川伸一さんや榎木英介さんが既に書いておられましたので、改めて書く必要もないでしょう。

2015年ノーベル医学生理学賞受賞理由:格差問題解決の科学への期待 (西川伸一)
http://bylines.news.yahoo.co.jp/nishikawashinichi/20151006-00050181/

大村智教授に医学生理学賞の理由 ノーベル賞委員会が秘めた意味(榎木英介)
http://scienceportal.jst.go.jp/columns/opinion/20151013_01.html

かつて、ホンダの創業者である本田宗一郎氏は、「国の補助で事業をやって成功したためしはない」と言っていました。すべてがそうでないにしても、実際、そういう傾向はあるのだと思います。大村博士の受賞対象となった研究は、文科省の科学研究費補助金(科研費)などによってなされたものではなく、メルクとの契約により、多額の研究費を得て行われてきたということです。結局、科研費などを貰う必要もなかったということになったということだと思います。日本の公的研究費は、基本的に北里大学のような私立大学に所属する研究者にはあまり回らずに、東京大学の有名な研究者にお金が優先的に回るようになっているような現状というのが今も昔もあるわけです。文科省は、こういう研究をほとんどサポートできなかった理由について、少し調査してみる必要があるのではないか、ということです。なお、大村博士の最近の科研費の状況がここで見れますが、もう少し昔のものも見てみたいです。
https://kaken.nii.ac.jp/d/r/90050426.ja.html


大村智博士は何をやったのか:きっかけ、汗、ユーレカの瞬間
野口英世博士については伝記が多く書かれ、賞なども設立されてきました。一方、渡辺淳一の小説「遠き落日」で描かれたような人生や、その後の科学研究の進展による再評価の結果、その人柄や功績についての疑問が投げかけられているのは、よく知られているとおりです。ノーベル生理学・医学賞の受賞内容では、ロボトミー(Egas Moniz、1949年)、農薬DDT(Paul Hermann Muller、1948年)のように、当初は画期的だと評価されながら、後に否定的に評価されるものも多い。少し冷静に考えてみることも大切であると思います。

私が報道を見て感じたのは、「大村博士はいったい何をやったのか」という素朴な疑問です。科学研究をやるものとしては、誰がどういう動機で、何をやったか、というのは気になるものです。不思議なことに、報道内容を見ても、私にはよくわからないのです。私が報道記者だったら、「先生は何をやったんですか?」という質問をすると思います。一般の人からは「抗寄生虫薬を見つけたという貢献だろう。お前は科学者のくせにそんなことも理解できないのか。」と言われそうです。ところが、薬を見つけるには、そういう研究や作業をやらないといけない。私が興味を持ったのは、大村博士は、問題の原点はどこにあったのか、つまり、どんなきっかけで抗寄生虫薬を見つけようとしたのか、そして、どんな汗を流したのか、ということです。ノーベル生理学・医学賞受賞者には、自分の実験を優先するために、他人の回している遠心機を止めさせたとされる研究者もいます。こういう場合は、自ら汗を流して実験をやって努力していたということを物語る逸話だと思います。では大村博士は、どういう知的あるいは肉体的な作業をしてノーベル賞を受賞したのか、ということです。

報道や少し読んだ総説などによると、伊豆のゴルフ場の近くで細菌(後にStreptomyces avermectiniusと命名)を採集したらしい。その辺の土から細菌を見つけると、ノーベル賞を受賞できるのか?そんなことはないでしょう。大村博士が、細菌から有機化合物を精製し、その構造を決めたりしていた天然物有機化学の研究者であるということはわかるのですが。。細菌を見つけても、それが役立つことを示さなければ、何の意味もないのです。つまり、スクリーニングが必要ということです。ところが、スクリーニングをやるにしても、どういうスクリーニングをやるのか、という「着眼点」、更にはどういうやり方でスクリーニングするのか、という「方法論」も必要でしょう。大村博士は、こういう部分のどこに関わっていたのでしょうか。総説がでていたので見てみましたが、よくわからない。
http://www.nature.com/nrmicro/journal/v2/n12/full/nrmicro1048.html

これによると、スクリーニングは米国のメルクでやったということです。つまり、細菌がそういう薬を作っているというのを最初に見つけたのは、メルクの誰かでしょう。共同受賞者のCampbell氏なのでしょうか。あるいは、そういう作業をやっていた無名の社員の誰かなのかもしれません。科学研究では、「わかった」「ひらめいた」「みつけた」という「ユーレカEureka」の瞬間を大切にしている研究者も多いと思います。そういう意味で、そういうステップがどこにあったのか、ということです。もちろん、大村博士がいなければ、こういう薬は見つからなかった。でも、大村博士がどういう貢献をしたのか。それがよくわからないのです。

これと関係しているのですが、ノーベル化学賞受賞者である野依良治さんが、大村先生の受賞は「平和賞がふさわしい」というようなことを言っておられた。これは、ある意味で皮肉にも聞こえてしまいます。「化学者」の大村博士に対して、その研究は「化学」という学問の発展には貢献はしてないでしょう。生理学という意味でも、学術的な価値はありませんね。ただ、多くの人を救ったということが平和賞ですね。つまり、科学上の学術的な意義はないのではないか、と基礎科学の研究者としての感想を皮肉を込めて述べたのではないか、と感じてしまいました。もちろん、野依さんはそういう言い方はしておられないわけですが、何となく本質を突いているような表現だと思いました。

実は神経科学の賞であった
オンコセルカ症は、感染したヒトの皮下を動き回る線虫が引き起こす病気です。イベルメクチンという薬は線虫を駆除できるわけですが、このメカニズムは実は神経科学とも関係しています。線虫の神経伝達の仕組みに影響を与えることで、線虫の運動をおかしくして、線虫を駆除することができるのです。神経伝達の研究というと、抗うつ薬などのように神経伝達に影響を与えることで治療するという、動物をポジティブに生かす方向の研究が広く行われてきていると思います。ところが、このイベルメクチンの働きというのは、それを線虫という動物を駆除するというネガティブな方法で使うことにより、結果として、ヒト、ペット、家畜に役立つということです。

イベルメクチンが働く仕組みについての総説
Ivermectin binding sites in human and invertebrate Cys-loop receptors
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/22677714

線虫というと、バイオ系ではC. elegansがモデル動物として広く利用されていますが、この論文などは、イベルメクチンがどうやって働くか、ということを研究している例であると思います。線虫の神経系の研究も大切ですね。特に、イベルメクチンに耐性がある寄生虫がでてきたりした場合には、そういう研究が大切になってくるのだと思います。
Caenorhabditis elegans Neuromuscular Junction: GABA Receptors and Ivermectin Action
http://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0095072

このように今年の賞が、神経科学関係の賞だとしますと、最近の神経科学関係のノーベル賞はこのようになるのでしょうか。

2013年 生理学・医学賞 Sudhof 小胞輸送の解明 (Rothman, Schekman博士が同時受賞者)
=神経系の化学シナプスの仕組み(細胞内)

2014年 生理学・医学賞 O’Keefe、May-Britt Moser、E Moser 脳内の空間認知システムを構成する細胞の発見
神経細胞の種類とその回路、機構

2014年 化学賞 Betzig, Hell, Moerner 超高解像度蛍光顕微鏡の開発
神経系を観察するための顕微鏡

2014年 物理学賞 Akasaki, Amano, Nakamura, 白色光源を実現可能にした青色発光ダイオードの発明
オプトジェネティクスなどで用いる光源

2015年 生理学・医学賞 Omura, Campbell
神経伝達に影響を与える薬(神経細胞の間の情報伝達)

2015年の化学賞も、今年のラスカー賞との関係から、実は神経科学にも役立つ将来のゲノム編集へのノーベル賞受賞を意識したものではないか、とも議論されています。こうして改めて眺めてみると、神経科学の研究者ならば、これらのテーマが現在の神経科学のキーワードを教科書的に網羅しているということに気づくのではないでしょうか。

aver

論文の図表引用についての著作権の理解
https://www.ipsj.or.jp/faq/chosakuken-faq.html

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次回のブログの更新は、2015年11月を予定しています。

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