わがまま科学者

こちらのサイトに移動しました:http://wagamamakagakusha.hatenablog.com 米国ボストン在住の神経科学研究者のブログです。科学、教育などに関する雑多な私見、主張。1ヶ月に1度程度の更新予定。  Twitter:@yamagatm3   研究者情報:https://about.me/masahito.yamagata/

2017年11月

今年は、去年から問題になっていた東京大学分子細胞生物学研究所のW教授の研究不正についての公式の見解が発表されました。また、年末になって、名古屋大学からの「ディオバン論文」の問題が、再調査の結果、論文撤回勧告という報道を見かけました。これらの問題については、大きな報道もされていましたので、今更という感じがします。

今回、私が敢えて考えてみたいのは、これらの不正や撤回勧告そのものとは別の問題です。その前に、この2つの問題について、思い返していただきたいと思います。

東大分生研のW教授の問題については、W教授が日本のスター研究者であり、朝日賞、上原賞、武田医学賞などの大きな賞を、総なめにして受賞されていたということで、ショックを受けた研究者が多かったと思います。そのうちの朝日賞の説明です。

分子生物学者  山本正幸さん Wさん 減数分裂の仕組み、明らかに
http://www.asahi.com/shimbun/award/asahi/2015prizewinner.html
「このころの山本研究室に、Wさんもいた。その後、自らの研究室を立ち上げたWさんは、染色体が均等に分かれる仕組みに着目し、大切な役割を果たすたんぱく質を見つけ、「シュゴシン」と名付けた。 」

一方、名古屋大学の問題は、経緯がここに書かれています。2014年に公表した「最終報告」の後、宇宙物理学者の先生を中心とする公正研究委員会の再調査の結果、そういう結論になったということでした。

名古屋大、ディオバン論文に撤回勧告、2014年の「最終報告」から一転  学外からの指摘で再調査、疑惑症例除外で「有意差が出なかった」
https://www.m3.com/news/iryoishin/570754
(2017年11月23日 (木) m3.com編集部)
「 名古屋大は2014年12月に公表した最終報告で「データの恣意的操作はなかった」「(論文の)主要な結果は信頼できる」と判断。イベントの定義と白橋氏の肩書についてのみ修正を勧告していた(『名大「データの恣意操作なし」と最終報告』を参照)。
しかし、2016年6月に、学外から「NHSに関する論文が、名大公正研究委員会の勧告に従った修正がなされていない」との指摘が寄せられた。これを受け、同年7月に大学は公正研究委員会による調査を開始した。特に問題となったのは、「心不全による入院」と判定された症例について。さらに9月には学外から別途「修正論文では4例とも入院拒否と記載されているが、このうち拒否されたのは2例だけではないか」との指摘があった。」

W教授の先生であった山本正幸さんは、基礎生物学研究所の所長となられ現在にいたっています。W教授と朝日賞を共同受賞されたのは、所長となられた後でしょうか。
http://www.nibb.ac.jp/about/message.html

一方の名古屋大学。2014年12月に今回翻ることとなる「最終報告」がなされたのでした。当時の名古屋大学の総長は、医学部長(2005-2009)から総長(2009-2015)になられた濱口道成さんでした。濱口道成さんは、2015年からJST(国立研究開発法人科学技術振興機構)の理事長となられ、現在にいたっています。

つまり、山本正幸さんも濱口道成さんも、日本の科学技術関係のリーダーとしてはトップに立っておられる方々です。

リーダーとして自らも直接関係あるこれらの問題について、自ら何かコメントを出していただきたい、と思うのは、私だけでしょうか。黙っていれば、任期がまっとうできるとお考えなのでしょうか?

日本国内のバイオ系研究者のリーダーの劣化の一例として、皆様にも考えて欲しいと思います。私は、このような劣化したリーダーたちとその取り巻きに自分の研究者としての運命が決められ、私の研究者人生を潰されてしまった、そして2度と研究者人生をやり返すことができないことに納得がいきません。

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大隅さん研究、酵母表現 岡崎・基生研ノーベル賞記念碑
http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20171028/CK2017102802000050.html (リンク切れ)
http://tiantiansu.exblog.jp/26138855/

[神経科学者SNSより改変]
例えば、Aという国の産業が発展していないというネガティブな評価があったとする。こういう場合、発展していないという悪い評価をされたAという国にお金を援助する。そういうことで、その悪い評価を良い評価に変えようとするというのが常識的な考えだと思います。

それと対照的なのが、日本の研究関係、大学、研究所、研究室レベル、更には研究者レベルでもそうだと思うのです。悪い評価がつくと、それは悪くて使い物にならないので、援助を打ち切るということになる。この違いというのは、どこにあるのでしょうか。是非、よく考えてみてほしいと思うのです。

また、プロ野球チームやサッカーチームで、弱くて負けてばかりいるチームがあったとする。こういうチームを強くするにはどうしたらよいのでしょうか。。負けてばかりいるので、ダメだということで、スポンサーもなくなる。お金がないので、良い選手が他所のチームに移籍してしまう。十分なトレーニングもできない。安い食べ物ばかり食べる。試合に集中できなくなる。こういう状態ですと、士気は下がる一方で、こういうチームが強くなるとは思われません。

国立大評価委、東大・和歌山大に低評価
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO23752450R21C17A1CR8000/
「「遅れている」と評価された東大は分子細胞生物学研究所の教授らによる論文のデータの捏造(ねつぞう)や改ざんが発覚したため。和歌山大は教員の給与体系の見直しが大幅に遅れているとして「業務運営」で「遅れている」と評価された。」

ネガティブに評価された大学はどのようになるのでしょうか。

ダメだから、その駄目な部分を改善するために、お金を与えて支援するのがよいのか。
逆に、ダメだから、懲らしめるために、お金を奪って干すのがよいのか。。


また、これと別の問題として、研究不正が「発覚」すれば、低評価となる。いじめ対策に積極的に取り組んでいる学校ほど、いじめが沢山報告される。逆にいじめ対策に取り組まなければ、いじめは発覚しない。ネガティブな評価というのも、そんなに単純なものではないように思います。

ネガティブなものを低く評価し、それを罰する。あるいは、ネガティブな評価だからこそ、それを改善するために援助する。こういうのをどう考えたらよいのでしょうか。。もちろん、それぞれによって事情は違うので、一般論として論じることはできませんが、ネガティブな評価だからといって即ダメと捉えず、立ちどまって深く考えてみるという態度は大切なように思います。

[神経科学者SNSより改変]

今日、気になった記事。東大総長だった小宮山宏さんが書いた文章です。おそらく、編集者の手がかなり入っているのだと思いますが、主張したい論点は保たれているのでしょう。三菱総研の理事長、東大の元総長という立場の人の言葉として、受け止めることが大切だと思います。

なぜ日本だけ「Uber」が広がらないのか
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171120-00023655-president-soci

引用「ただ、日本人の、制度や仕組み、「お上(かみ)」に対するメンタリティに原因があるのでは、と思い当たりました。縦割り行政や、過去に定められて今や実情に合わなくなってしまった制度や仕組みなどの「外の壁」。いわゆる岩盤規制と呼ばれるものです。もちろん、これらもよくありませんが、人にも意気地がない。これが、日本人の「内なる壁」になっているように思います。」「(MITメディアラボのJoi Ito氏の著作の)9つのプリンシプルの中に、「Disobedience over compliance (従うより不服従)」というものがあります。そこには、「言われた通りにしているだけでノーベル賞を受賞できた人はいないし、だれかの設計図に従っていただけで、ノーベル賞をもらえた人もいない」

この中で紹介されている本。私は英語のオーディオブックを実験の合間に聞きました。

9プリンシプルズ:加速する未来で勝ち残るために
伊藤 穰一 (著); ジェフ・ ハウ (著); 山形 浩生 (翻訳) 早川書房 (2017/7/6)
https://www.amazon.co.jp/dp/4152096977/

9つのプリンシプルズとは、
「権威より創発、
プッシュよりプル、
地図よりコンパス、
安全よりリスク、
従うより不服従、
理論より実践、
能力より多様性、
強さより回復力、
ものよりシステム」。

この中の「従うより不服従」という部分。私は大切なことであるとして、つねづね心がけている。ところが、日本のリーダーの多くは、逆に「不服従より従う」「媚を売る」「忖度する若手が第一」。こういうのが美徳、出世の早道としているのではないでしょうか。そして、従わないものは潰してしまえ、と、そんなことばかり考えて偉ぶっているのでしょうね。

[神経科学者SNSより]
研究者は何のために論文を発表するのか?

私の知っているある研究者は、 「出世するためだ」と答えました。したがって、その「何のために」を議論することは無意味である、ということでした。

先日紹介した野依さんの文章から。
http://www.jst.go.jp/crds/about/director-general-room/column20.html
「科学研究者は何のために論文を発表するのか。元来、精神の高揚を旨とし、実利には距離を置く学術共同体の中で、同好者たちが互いに思想、知見、意見を交換し合い、いわば自己表現する手段であった。加えて、時を経た現代では、社会が多大な公的財政支援による成果の証として論文発表を求めるためとされる。」

大学という社会装置=長谷川眞理子・総合研究大学院大学長
https://mainichi.jp/articles/20171119/ddm/002/070/049000c
「知的探求の一部からは、現在の貨幣経済の中で、経済的価値を生む可能性のあるものが出てくるだろう。それは国家の発展にも寄与するだろう。しかし、そのような経済的価値を生み出すことが、知識追求のそもそもの目的なのではない。大学が、現在の社会状況に適合した役目を付加していくことは必要だが、もともと大学という組織がなぜ出現し、なぜそれが連綿と続いてきたかの理由を知っておくことは必要だと思うのである。」

[神経科学者SNSから]
このブログの更新が滞っています。

「神経科学者SNS」の方では、毎日欠かさず日記を書くことにしているのですが、一般に公開されていないSNSの内容は、短時間に気軽に書いているため、文章がいい加減で、外に見せることができない。更に、時に、意図的にあまりに過激な内容を含んでいるので、やばいということもあります。
神経科学者SNSは、こちらです。新規会員になるのには、どういう手続きがあるのか、不明です。
https://neurosci-sns.neuroinf.jp

しかし、時々、少し外に出してもよいのではないか、というような内容もありますので、これから少しずつ、ちょっと編集した後で、こちらでも公開していきたいと思います。内容は、断片的でまとまったものではないと思いますが、日々の議論のネタにしていただければと思います。

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先日見かけたのですが、今日、また目にして気になったプレスリリース。これは、国内に3つある指定国立大学法人の一つ、東北大学のプレスリリースです。

"女性脳"と"男性脳"を切り替えるスイッチ遺伝子を発見−ショウジョウバエでの研究成果− プレスリリース 掲載日:2017.11.15
東北大学
https://research-er.jp/articles/view/64980

これを見て、これは危険なプレスリリースだと感じたのは、私だけではないようです。

サイエンスコミュニケーションでは、喩え、擬人化というのは、非常に注意して行うべきであると、英語圏のガイドラインでは言われている。また、研究材料がヒトでない動物実験の場合は、それが動物実験ではない、と誤解しないようにということになっている。これは、まさに、そういう喩え、擬人化だと思うのです。。

しかも、こういうのが非常に微妙な議論を呼び起こしやすい内容だけに、避けるべき書き方であると思います。どうでしょうか?

[神経科学者SNSより]

今日は、たまたまなのでしょうが、2人のノーベル賞受賞者の意見を見かけました。

「50年の研究生活から想う基礎科学研究」−大隅基礎科学創成財団主催の財団創設記念セミナー(10月18日)での講演から
東京工業大学栄誉教授・大隅基礎科学創成財団理事長 大隅良典 氏

http://scienceportal.jst.go.jp/columns/highlight/20171108_01.html


野依良治の視点
(20)高級ブランド科学誌への「信仰」

http://www.jst.go.jp/crds/about/director-general-room/column20.html

大隅さん
「今の時代だったら多分キックアウトされていたに違いないと思います。「なぜ今の時代はそういうこと(研究の仕方)を許さないのだろうか」ということが私の現在の問題意識になっています。基礎研究というか科学の原点は、非常に自由な発想がどのくらい許されるかということがたいへん大事です。科学の発展というのはほとんど予測不可能です。」

これが、問題意識になっている。その答えというのは、何なのでしょうね。

文科省が許さない。では、文科省が許さないのは、なぜなのか。官僚が許さない。財務省の官僚が許さない。なぜでしょうか。そこには、御用学者の忖度、それが批判できない熟年研究者(東大教授など)、それに忖度する中堅研究者の存在など。。国民がそうして欲しいという。では、それが間違いであると、説得できないのは誰であるのか。

こういう問題意識があるのはよいのですが、「なぜか」ということの本質を考えて、それを解決しないかぎり、解決しないのではないでしょうか。

[神経科学者SNSから]

ブランダイス大学のEve Marderさんの記事。SfNの元会長であるMarderさんは、eLifeのエディターの一人なのですが、その関係で、eLifeにエッセイみたいな文章をシリーズで書いておられる。これはそれを一覧にして、まとめたようなページです。

Neuroscientist Eve Marder’s advice to aspiring scientists
https://www.brandeis.edu/now/2017/september/marder-advice-career.html

いろいろ考える材料として、若い人たちが、時間のある時に読むとよいと思いました。
しかし、近頃の日本では、これと逆のことをやることが推奨されているような気がします。

今年のブランダイス大学は、ブランダイス大学で行われた研究でノーベル生理学・医学賞がでて、Marderさんもその祝賀セレモニーで挨拶をされていました。

[神経科学者SNSより]
昨日見かけた記事。神経科学者、小泉周さんらの研究チームについての記事です。

文科省の科研費チーム、大学の研究力を「厚み」で評価する新指標−中間層の論文に着目
https://newswitch.jp/p/11050

この文科省のページの資料4.1などにもう少し詳しくでています。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu4/041/shiryo/1398190.htm

こういう違う評価の方法、特に目立たない部分に光を当てるようなものは大切であると思うのです。

しかし、日本の一部の指導的研究者や官僚には、やはりこういうのが、二流のもの、やや劣った人達が、自分たちを正当化するために、作っているのだという考えがあるのではないでしょうか。実は、それの方が潜在的に問題を歪めている原因になっているのではないかと、思うのです。

例えば、インパクトファクターに関する議論でも、Nature, Science, Cellなどに論文を出せなかった人達が、自分たちを正当化するために、言っているのだという捉え方がある。

逆に、世界大学ランキングが壊滅的である日本の大学。逆に、こういう時になると、そんなものは意味がない、という趣旨の反論、言い訳をして、自分たちをかばう。。

この潜在的な心の問題をまず矯正しないと、こういう問題は解決しないと私は思うのですが。。結局は、リーダーの「傲慢さ」あるいは「劣化」ということだと思うのです。

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