研究問題というと、通常、制度や仕組みの問題を議論するということになると思います。このようなことは、他の方が大いに議論されると思いますし、共通する意見や提案が多くでてくるでしょう。しかし、一般論としてですが、制度や仕組みの問題というのは、実は日本で研究活動を行う上で、それほど深刻な問題ではないのではないか。つまり、これまでの制度や仕組みの中でも、実際に多くの研究がなされ、多くの研究者が利用し、それほど困ったという声がなかったものばかりなのです。我慢したり工夫すれば、何とかやっていけるというものがほとんどではないか。本当に深刻な問題だったら、変わります。多くの人がそういう方向で動くでしょう。例えば、殺人は真に深刻な問題だから、大きな罪になるというルールができたのです。

今回、私はこれらとは違った観点から、日本の研究費、そして科学研究推進において極めて深刻であるにも関わらず、多くの人に気づかれていない、あるいはタブーとされてきた問題点について、論じてみたいと思います。簡単に言うと、日本での研究活動がやりにくいという問題のかなりの部分というのは、制度や仕組みの問題ではなくて、実はリーダシップを取る研究者のそれぞれの「個人」の意識、倫理観、知識の欠如から生じているのではないか、ということです。そして、そちらの方が想像以上に深刻なのではなかろうか、という問題提起であります。

まず、その前に、私自身について、ごく簡単に自己紹介させていただきます。私は、現在、50才を過ぎた神経科学分野のポスドクです。業績がないから、そうなったのだろう、というご意見があるか、と思います。でも、神経科学の分野では世界で最も有名な教科書に、日本人としては最も数多く研究が紹介されたり、名前が掲載されたりしています。しかし、日本で職を探そうとすると、明らかな妨害工作を受け、見つけることができませんでした。このこと自体が奇妙なことであると思うのですが、経緯を考えると、やはり日本での科学者コミュニティからのパワーハラスメントにあったということです。つまり、日本の科学者コミュニティの仕業でキャリアが潰れてしまったということです。そして、このような人というのは、過去においても現在においても結構多数いるのではないか。戦う意欲のない人達は、日本から逃げて、海外でキャリアを求めたりする。現実に海外で名を馳せた研究者の中には、日本で職が見つからなかったからという消極的な理由で海外でキャリアを確立した方も多いでしょう。一方で、私のように消えていく研究者や最後まで戦おうとする人もいます。これは深刻な問題です。日本の中で研究者としてやっていけるか、やっていけないという死活問題に関わるのですから。同時に、日本の科学研究の発展にとっても、真のイノベーションを生む研究環境、グローバルな視点、異分野間での交流、若手研究者育成などの観点から、極めて深刻な問題であると私は考えます。

おそらく研究者の皆様も気づいていると思いますが、俗に「コネ」と呼ばれるものがあります。科学研究費、組織運営、人事などの点について、この「コネ」というものが多くあると思います。そして、日本の科学研究のあり方を大きく歪めているのではないか、というのは多くの人が実はそれとなく気づいています。「コネ」を利用している人も、そのことを知っているから積極的に「コネ」を利用するわけです。一方、「コネ」がない人は、こういう点について、大きな不満があるわけです。

こういう「コネ」というのは、結局のところ、Conflicts of Interests(相反利益)が排除できない、倫理観に問題があるということを意味しています。この倫理観というのは、研究者それぞれについて、様々な認識があります。制度や仕組みでコントロールされているものではなくて、端的に言えば、リーダーシップを持つ研究者の個人的な行動とか、感情とか、そういう制度や仕組みを超越したレベルで支配されているということです。こういう感情の中には、研究の評価も含まれたりするわけです。例えば、自分の弟子だから、研究の評価も高いなどという、科学的でない論理が横行しています。科学的根拠や決まりより、個々人の感情に支配されるような研究費運用などというのがありうるのでしょうか。人事などでも、科学的な論理より、個々人の感情に基づく運用が随所で見られます。例えば、ある研究所では、本来ならいろいろな分野から、いろいろな多様なバックグラウンドを持った人をリクルートするべきであるはずなのに、実際は部長クラス、研究所長クラスの研究者の関係者ばかりが「コネ」でリクルートされているとか、そういうのは枚挙に暇がないでしょう。更に問題を複雑化しているのは、こういうのは、それぞれの大学や研究所の中だけで見られるだけでなく、日本の科学者全体が一つのコミュニティを形成していて、その中で、同様な現象が見られるということです。一方においては、それぞれの大学や研究所の自治などというもっともらしい理由で、そういう行為の苦し紛れの正当化がなされているわけです。

科学的根拠に基づかず、「コネ」を含めた感情で運用するような研究費の分配、あるいは組織の運営がどうして生じるのか。結局のところ、審査や運営にあたる個々人としての研究者の意識、倫理観、知識の問題に帰すると思われます。例えば、なぜConflicts of Interestsが排除できないのか。Conflicts of Interestsがあると感じたら、自ら身を引くというような行動はとれないものか。審査や運営にあたって、重要な情報が、事前にリーダーシップを取るべき研究者のみに独占され、既得権益の確保や自らへの利益誘導に活用されてしまうのは何故なのか。学校教育法改正で法的根拠がなくなった講座制やそれを想起させるような人事が、依然として主要な研究機関で実施されているのはなぜなのか。

このようなことを考慮して清く正しく活動できるリーダーシップを積極的に高く評価すること(評価の評価)、そのためにリーダーシップを発揮するような研究者を研修などで人格面まで含めて再教育することで意識を向上させたり、Conflicts of Interestsの排除というようなコンプライアンスに関わる知識を持たせること、更には違反者には罰則の制度を作る必要があるのではないか、ということです。Conflicts of Interestsを排除するような厳密な方針が必要ではないのか。利己利益を優先する行動をとったリーダーシップを持った研究者やその結果について、懲罰が必要ではないのか。そもそも国内の研究機関、あるいは国内の科学研究においてのリーダーシップのあり方が体をなしていないのではないのか。大切なのは、このような個人のリーダーシップの意識、倫理観、知識のあり方というのを、日本の科学研究を発展させる上での最も本質的かつ深刻な中心課題として捉えていくということであると思います。
ishiki
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