「私が研究を評価するときの一番の目安は、驚きです。もう一つは腑に落ちること。この2つが、学術研究で大事だと思います。」野依良治

科学研究では、「驚き」を評価することが多い。意外であった。びっくりした。ということです。例えば、体細胞にたった4種類の遺伝子を導入することにより達成された山中伸弥さんらのiPS細胞作製は、「驚き」でした。

ところが、分野が成熟すると、人々が少々のことでは「驚かなくなる」という状態になってきます。要するに、頭で考えて、結果が予想できてしまう。そういうことが増えてくるのです。予想できるようなことでは、人々は驚きません。ですから、そういうことは「評価」が低くなる。その結果、驚かすためには、人をアッと言わせる研究、とんでもないというような研究が必要になってくる。そしてそういう研究がハイプロファイルジャーナルに掲載されるわけです。

幹細胞の研究分野というのは、研究によって、人々を驚かす基準が非常に上がってきている。少々のことでは、人々を驚かすような研究ができない。つまり、幹細胞の研究分野が、多くの研究者が参加するようになり、成熟したことによって、インパクトのある研究、過剰な驚きを求めるような研究が、分野として要求されているのではないか、ということです。

つまり、こういう分野は、理論的に予想できることが多くなってきているわけです。理論的に予想できるということは、既に何らかの法則性、規則性が見つかっており、それを元に結果が予想できるということであります。こういう科学分野というのは、研究分野として成熟して、ある意味で「終わりつつある」のではないか。もちろん、細かい面白いことは沢山あるでしょう。最近もSTAP細胞の論文発表の問題が日本国内では大きく騒がれているようですが、これも、この過剰な驚きを要求されるような分野になってきた幹細胞研究の分野の「終末」のような状態ででてきてしまったものではないか、とふと思ったのです。

つまり、幹細胞研究はもう終末になりつつあるのではないか。個人的には、1992年のことになりますが、Cold Spring Harborで毎年開かれるQuantitative Biologyのシンポジウム「The Cell Surface」で、免疫学での重要な研究でノーベル生理学・医学賞を受賞した利根川進さんが、免疫学が終わったとして、神経科学に移ったという宣言から発表を始められたのが、思い起こされます。この「免疫学が終わった」という感覚に近いものがあるのではないか。

私自身が、幹細胞分野に直接関わっていないので、この「終末」という表現は、幹細胞研究分野の方々には失礼な言い回しかもしれません。もちろん、臨床応用など、医学研究として大切な研究は多く残されていると思います。最近、ニュースなどで報道される幹細胞研究の内容などを見ていましても、その大部分は、臨床応用に関係したものであり、いわゆる基礎研究に相当するようなものは、ほとんど見かけなくなってきています。大学では、主に創造的な基礎研究に相当する部分を重視して研究することが多いのですが、その意味で、幹細胞研究のかなりの部分は、もう民間企業などに移すといった時代になってきているのではないでしょうか。

米国のトレンドとしては、幹細胞研究施設で神経系の研究をしている研究者が、次々とBRAINイニシアティブとの関連を思わせるような領域に移り始めています。これも、幹細胞分野が「終末」に近づいていることを意味しているのかもしれません。幹細胞研究者であるKnopfler博士も、こんなブログを投稿しています。
Multi-Billion Dollar NIH Brain Initiative A Stroke of Genius or Madness?

ルネサンス文化の終末期、絵画では、いわゆるマニエリスムという作風が生まれました。ルネサンス音楽では、私が大好きなカルロ・ジェズアルドが、不協和音や半音階を使ったマニエリスムの音楽を作曲しました。奇異や驚嘆を求める心によって、変わった表現が用いられたということです。今、幹細胞分野の基礎研究というのは、こういう時代になっているのではないか。科学研究を、こんな文化的な見方で、最近の科学の動向や話題など考えてみるのも、また一興かもしれません。