STAP問題の社会、経済、政治を巻き込んでの、混乱。これが問題であるというのは、間違いありません。「研究者倫理の問題」と「STAP現象が本当にあるのかという科学的関心」という2点が本質的に重要な問題です。更に、これらについての理研の対応、理研の広報を始めとするコンプライアンスとガバナンスの問題、ジャーナルを通じた科学研究発表のあり方、科学者コミュニティのあり方、そしてそれに過剰に反応する社会など、様々な問題が噴出してしまったという感があります。

ただ、米国からですと、日本の状況は、ほとんど目にすることもないので、幹細胞の研究者など、一部の研究者以外には、そんなに大騒ぎするような問題ではないと思います。これで、例えば、「日本の科学技術の信頼が問われている」とか、「大学院教育が信用されなくなっている」とか、そんなことはないでしょう。日本の過去の研究は、このような1つの問題で、すべてがなくなってしまう、なんていう浅い評価を受けているものではないです。私が、米国から日本の状況を見ていて感じるのは、この問題のかなりの部分は、論文の書き方や広報のあり方を含めた「過剰宣伝」にあったのではないか、ということです。

研究者倫理の問題の究明には、やはりメンタルケアも考慮した人権問題というのも大切です。STAP現象が本当にあるのかという科学的検証に関しては、細胞や動物の増殖速度、解析スピードというのが、政治家の決断のように即断できるスケジュールのものではないわけです。培養細胞が倍に増えるのは、半日から1日以上必要である。マウスの妊娠期間が21日、大人になるのが生まれてから40日後というようなスケジュールですと、実験材料を集めるのにも時間がかかる。即断で短期間に白黒つけることはできないわけです。政治や組織の都合と、こういう研究に要する時間的感覚というのは一致するものではないでしょう。

こういう状況の中、情報不足やデマ的な情報から、様々な混乱が生じています。メディア報道の中にもデマがあるという状況です。ただ、このような事態において、一点、指摘しておきたいことがあります。世の常として、悪いものは容易に目につくが、過去における良いものは目につきにくいということです。つまり、こういう混乱の中で、CDBだけの運営に問題があったとか、そういう議論になるのは、何だか奇妙だと、私は感じています。もちろん、過剰宣伝に関わった副センター長などの責任問題は、理研が、どういう形で対応するのかわかりませんが、研究者コミュニティや世間が十分納得できるような形になることは大切だと思います。根本的な原因を考えれば、真偽はともかく研究成果の売り込み過ぎ、ヤラセや演出などを含めて過剰宣伝せざるを得ないような切迫した状況があったということが、もっと理解されるべきでしょう。私は、研究費、人事などの運営、科学研究の政策誘導にあたって、ヤラセ、演出といった不誠実な行為が様々な場面で日常的に行われていることが、日本の科学研究体制における構造的な問題であると思います。いずれにしても、科学研究とは、過去を振り返り「こうすればよかった」と後悔してばかりいるものとは違う。もちろん反省も大切ですが、それ以上に前向きに創造的な研究をすることが最大のプライオリティであるべきだと思います。このことを忘れず、問題を解決するべきだと思います。

ここで、理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター(理研CDB)の設立の経緯について、触れておきたいと思います。戦前から長い歴史のある理研は、戦後、和光の研究所が主に研究を主導してきました。ところが、1990年代の中頃になると、バイオ系では、脳を研究するために設立された脳科学総合研究センター(理研BSI)を皮切りに(正式には、1997年)、本所だけなく各地に、その分野で主導的な役割をする大きな予算規模を持つセンターがいくつか設置されたわけです。BSIができたのは、伊藤正男さんが、当時、日本の学術界のトップにあったのと、米国のDecade of the Brainを真似た「脳の世紀」というスローガンのもとで、東京近辺に作るというのが官僚や政府を説得しやすかったのでしょう。そもそも1990年代の中頃というのは、再生医療なんていう言葉はなかったです。発生、再生なんていうのは、マイナーな分野でした。ゲノムはまだ本当にシーケンシングできるのか、という懐疑論が多かった時代。ですから、脳の研究所BSIができたのです。

CDBの設立は、BSIがモデルだったと思います。岡田節人さんあたりが、そういうものを考えて推進し始めた時に、神戸の地震からの復興、21世紀になるという状況で、政府のミレニアム・プロジェクトの1つとして設立されたわけです(正式には、2000年)。当初は、再生医療というより、複雑系としての発生生物学なんていうとても難しい言葉が設立の理由にあったりしたと思います。それでも、幹細胞とか、再生医療などというような分野が、世界的に盛んになる前に、いち早く、日本に、このような研究施設を設立したというのは、卓見であったと思います。

一方で、先行して設立されたBSIというのは、その立ち上げに大きく関与したグループリーダーという管理者的な研究者が、自分のラボ出身者を優先的にチームリーダーにするというコネ人事を実施したわけです。更に、東大などにもラボを持っていて、BSIに2つ目の稼働ラボを持つという、これもまたやり放題とも言えるような状況にしたわけです。こういうラボを複数持って、規模だけを大きくし、ポスドク、大学院生、技術員などを多く抱えれば、沢山の論文が発表され、研究が盛んになっているように見えます。BSIと東大で2重発表すれば、どちらの機関にとっても、業績が増える。報道発表が増えて、年度末の報告書が厚くなる。ですから、官僚や事務関係などの受けはよく、研究費が更に増えるというような拡大のサイクルに入ったのです。もちろん、こういうやり方やあり方に、疑問を感じる研究者も、東大を始めとして全国に多数いました。有利になるのは、その関係者だけになったわけですから、おそらく、こういう状態を見てハッピーに感じていたのは、このグループの内部にいる構成員だけだったのではないか、と思います。更に、こういう大きなグループになっても、研究代表者は一人というような状態では、十分な研究管理ができないのではないか、という指摘もあったわけです。そして、BSIの場合、遺伝子スパイ事件など、大きく報道されて世の中に見える形ででてきたスキャンダルもあれば、センター関係者は知っているのに、世の中にはほとんどでてこなかったスキャンダルもあったりするわけです。ちなみに、BSIは、今回、学位論文の審査体制など別の問題が明るみにでている早稲田大学とも連携しています。このBSIと早稲田大学の連携体制のあり方についても、関係者の間では、疑問の声が上がっているのです。研究体制の構造的な問題ということを議論するなら、BSIこそ、大きな欠陥があるのではないでしょうか。

京大関係者の主導でできたCDBの運営というのは、基本的には、BSIのこうした運営に対する反感があったのではないでしょうか。CDBでは、センター長やグループリーダーのラボ出身者は内部にラボを持たせない(もちろん、一部の人事は、コネ人事だという判断も可能ではあったが)。そして、京大などの大学のポストは、客員という形で大学院生のリクルートの目的で残すが、京大で稼働しているラボは物理的に消滅させる。つまり、BSIのグループリーダーがやっていたことをやらない、ということがとても重要なことだったのです。例えば、京大再生医科学研究所の笹井芳樹教授が京大のラボを完全に閉めて、その同じポスト(再生誘導分野)の後任にNAIST教授だった山中伸弥さんが着任したというのは、こういう理由によるのでしょう。

その結果、CDBは、今回の問題の前には、研究者コミュニティでは、いくつかある理研のセンターの中では、運営が高く評価され、クリーンなイメージがあったのです。そして、スキャンダルというものがないという、そういうクリーンなイメージがあったからこそ、皮肉にも今回の当初の過剰宣伝に成功したというところはあると思うのです。そして、コネのない若手研究者に自由に挑戦、活躍の場を与えるとか、男女共同参画とか、そういう形で、派手ではないものの着実に成功している例は多くあるわけです。今回の問題を契機に、CDBの伝統とも言えるこういうあり方が科学研究を実施する上で危険であるとか、問題があるとか、見直して止める必要があるとか、そういう議論になってしまうとしたら、とても残念なことです。この点に関しての問題は、あくまで個人の問題として分析されるべきです。例えば、今回の問題のロールモデルとしての「若手」「女性」「経歴がメジャーでない」というようなイメージを想起させる研究者のリクルート、つまりポジティブ・アクションとか、米国流に言えばアファーマティブ・アクションに極めて慎重になってしまうという結果になるとしたら、それは残念であると思います。ひいては、日本国内の研究者人事のあり方にも影響を与えかねません。「老人」「男性」「経歴が主流派」ばかりになったら、日本の研究環境の多様性は失われ、昔に戻ったようになってしまいます。

大切なのは、人事の問題とか、運営の問題とか、そういう点でCDBに問題ありとするのなら、それは理研全体の問題であり(例えば、官僚的な運営を含めて)、コネ人事では他のセンターの方が問題であるのに、それに目を向けずに、CDBだけが悪いという形になるのは、私としては違和感があるのです。