わがまま科学者

米国ボストン在住の神経科学研究者のブログです。科学、教育などに関する雑多な私見、主張。1ヶ月に1度程度の更新予定。 こちらのサイトに移動中です:http://wagamamakagakusha.hatenablog.com  Twitter:@yamagatm3   研究者情報:https://about.me/masahito.yamagata/


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今、ゲノム編集技術が大流行していると思います。私も、これを使っています。実は、もう2年以上前にハーバード大学のコアファシリティと一緒に技術を確立しました。ボストンでも、おそらくMITのグループに続く速さだったと思います。最初に、成功した後、ハーバード幹細胞研究所やMGHのグループからもたびたび相談を受けてきました。おそらく、世界的にもこの方法を確立したのは早かったと思います。ところが、この技術があまりに一般的になって陳腐化してしまったので、論文を書くこともできなくなり、結果を捨てるということになってしまいました。そこで、折角ですので、その方法を公開してみたいと思います。
tyrosinase-mice1

この写真は、チロシナーゼ遺伝子を標的とするTALENを使って、チロシナーゼ遺伝子を壊すことで、黒いマウスを白くした結果です。これはあまり効率がよくなく、20-30%くらいの成功率。その後、CRISPRで同様なことをやると、90%以上の成功率。生まれてきたマウスが全部白くなってしまったので、何か実験上の誤りがあったのではないか、と思いましたが、DNA配列を解析すると、確かにIndelが起こっているのです。すごい効率です。このように、Indel変異を起こすのは、驚くほど非常に簡単にできます。これが、ゲノム編集技術が生物学研究上の画期的な技術になってきているという所以でしょう。なお、一部、モザイクになっているのは、Indelが発生の途中で起こったために、こういうマウスができるのだと思われます。

この方法のこつは、注入するRNA(DNAも同時に注入する場合はDNA)を如何にきれいにするか、というところだと思います。市販のRNA精製キット(例:MEGAclear Kit)で溶出後、酢酸アンモニウム存在下でエタノール沈殿して、その後、70%エタノールで何度もリンスし、完全に乾燥させた後、RNaseフリー水でサスペンドする。つまり、RNAのカウンターイオンはNH4イオンにします。CAS9のmRNAは自分でも作製できますが、結構サイズが大きいためやや難しいです。市販のものを購入した方が容易でしょう(例:https://www.systembio.com/crispr-cas9-systems)。sgRNAとCAS9のmRNAを混ぜて、胚に注入しますが、これらは細胞質に注入すればよいので、小さな雄性前核にDNAを注入するトランスジェニックマウスの作製法より、技術的にはずっと容易です。

マウスでも簡単にできてしまうので、他の生物でも同様に簡単に「遊ぶ」ようにできてしまうのではないでしょうか?つまり、この「遊ぶ」ようにできてしまうというところが、倫理的に怖いところであると思うのです。ヒトES細胞なども倫理的な問題というのが議論されるわけですが、ES細胞というようなものより、技術的なハードルが低いということです。こういう感覚というのは、実際に使ってみるとよくわかると思います。

CRISPRの方法は、ゲノム編集を簡単にできるようにしたという意味で画期的であると思います。ゲノム編集の技術的な概念というのは、TALENとか、その前のZFNの時代からありましたし、実際にそういう方法が割合と使われていたわけです。確かに、Feng ZhangさんとGeorge Churchさんのグループから2013年初頭に報告された論文はインパクトがありました。でも、TALENの時代からゲノム編集をやっていた私などは、やはりCRISPRのメカニズムを研究したJennifer DoundaさんとEmmanuelle Charpentierさんの研究(http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/22745249)を高く評価してみたいと感じるのです。こういうのは、結局、基礎科学研究でどういう部分を評価するか、ということだと思います。

ちなみに、CRISPRというものの存在を初めて報告したのは、1987年、阪大の中田篤男さん(現在は、大阪大学名誉教授)と石野良純さん(九州大学農学部教授)の論文(https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/3316184)。でも、機能不明だったので深い意味はないのですが、一見、金儲けとは程遠い、こういう地味な発見というのも大切だと思います。








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このところ、日本では、第5期科学技術基本計画(2016-2020)の議論が盛んになっているようです。日本の科学技術政策、大学、大学院、研究所、学会の運営。。何でもそうなのですが、「根本のところから議論しない」「根本のところの議論をさせない」「根本のところの議論ができない」。こういうところがあるのではないでしょうか?議論をしようとすると、「無駄だ」「くだらない」「そういうのが世の中だ」などという理由を付けて、議論から逃げてしまう。私は、こういう姿勢が、物事を根本から解決ができない理由だと思っています。

根本のところの議論をなおざりにして、表層的な議論から何か解決を目指しているようにみえる施策が決定される。その結果は、数値目標とか、予算獲得のための方便とか、リーダーを賛美するみたいなふうになってしまい、本来の「目的」を忘れ、結局、何も解決しない。こういうことになってしまう。政策、施策、運営などで、あることがなされる場合、どうしてそんなことがなされるのか。今回は、「女性限定のPI研究者公募」ということを1つの例として、わがままに議論してみたいと思います。

悲観的になった男性研究者達
10年ほど前から特に若い男性研究者から聞くようになったのですが、「男の研究者はもうだめ。ポストもなければ、放かっておかれるだけ。」博士取得後、ポストドク後にポストがない問題が大きくなるなかで、こういう士気のない感想をあちこちで聞くようになったのです。そこそこの業績があって公募に応募しても、出来レースみたいな形で女性の研究者が優先される。女性だと、少し目立った研究をすると、すぐにポストが見つかるし、学会などのコミュニティからも大切にされるのだと。。これもSTAP問題の背景の1つだと思いますし、科学者コミュニティでは、目立った研究をする女性研究者を積極的に探そうとしているのだと思います。ところが、こういう話というのは、学会などでアンケートを取っても見かけることがありません。それはそういう形の感想が出るようなアンケートを取っていないからでしょうし、そもそもそんな意見が世の中にでてきてしまったら都合が悪いのかもしれません。若い男性研究者は、科学研究もできないし、自分の子供の教育資金もないと。。これは、この10年くらいの男女共同参画の気運や施策のもとで、今回議論するような様々な要因により、大学や研究所などが、若い男性研究者が悲観する方向を目指すようになったということだと思います。

最初に言っておきますが、私は男女共同参画の超積極的な推進派です。しかし、それを推進するための姿勢や方法に疑問を持っています。最近、作家の村上春樹さんが、読者との質疑応答のイベントをやっているのですが、その中で、村上春樹さんのこんな言葉が私の心に響きました。

「僕のまわりの『輝いている』女性たちはみんな、安倍さんに向かって『おまえなんかに、いちいち輝けと言われたくないよ』と言ってます。たしかに余計なお世話ですよね。とくに輝かなくてもいいから、女性が普通に、公平に働ける社会があればいいんです。僕はそう思います。」(村上春樹)
(引用元:http://news.livedoor.com/article/detail/9731016/


女性限定の公募は世界が納得するか?
世界トップレベル研究拠点プログラム(WPI)というのは、日本が誇る科学研究を推進するために作られた組織です。最近、筑波大学のWPIから出されている「Female Principal Investigator」の英語公募がNatureJobsなどに出ていて話題になっていました(下の写真)。

筑波大学のWPIといえば、在米も長かった柳沢正史さんが、リーダーを務める、しっかりとしたものだという認識があったのですが、「Female Principal Investigator」を英語で国際公募するという、このことに様々な賛否があるようです。皆さんは、この公募について、どういう感想をお持ちでしょうか。
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女性限定の公募についての捉え方というのは、いくつかあると思います。日本語で日本国内だけで公募するというケースは、既にこれまでもしばしば見かけたことがありました。一方、英語で国際公募するというのは珍しい。

日本語で国内外の日本人に向けて公募するという場合は、実は、そういうのを受容するという考えを持つ人が多いのです。むしろ「積極的に」やるべきだという意見が多かったりする。こういうのは、例えば、2012年に九州大学の理学部数学科で「女性枠」を設けたというような入学の限定枠(別の表現をすると、「男性排除枠」)を支持する意見と共通点があるのかもしれません。

一方、英語で国際公募という場合、逆に、恥ずかしいという感想を持つ人が多い。それでも敢えて肯定的に捉えるなら、「現状の問題をこういう形で世界に訴えている」のだという考え方をする人がいるようです。ちなみに、私は、こういう公募は「ハラスメント」に相当するのではないか、と個人的には感じます。もっとも好意的に捉えれば、「外国人」を採用するための公募という見方もできますが。

日本語と英語での捉え方の違いがどうして生じるのか。国際的には、人権の観点から「女性限定の公募」が非常識ではないか、と感じる人が多い。ワールドだ、グローバルだ、スーパーグローバルだと言っている日本の大学で、そういうことをやるのは、やはり国際的な人権感覚と相容れないという感想を持つ。一方で、日本語でやる国内公募だと、そうは感じない。日本では、こういう公募を出さざるをえないような悪い状況があるのだと。。つまり、こういうのは、日本という「国」の事情が大きく関わっているということなのだと思います。

表層的な法的議論でいえば、実際、日本の法律でも、「男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律」の第5条では、こういう形の公募は禁止されているわけです。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S47/S47HO113.html

ところが、同法には、第8条「事業主が、雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保の支障となつている事情を改善することを目的として女性労働者に関して行う措置を講ずることを妨げるものではない。 」がある。その付随する説明では、「職場に事実上生じている男女間の格差を是正して、男女の均等な機会・待遇を実質的に確保するために、事業主が、女性のみを対象とするまたは女性を有利に取り扱う措置(ポジティブアクション)は、法違反とはなりません」ということになっている。http://www.mhlw.go.jp/general/seido/koyou/danjokintou/aramashi.html 大学などで、女性研究者限定の公募をやったりする人達の議論というのは、こういう法的な説明があるのだと、大抵、そういう表層的な議論で終わってしまうのです。

もちろん、男女の機会均等を前提としたポジティブ・アクション(米国流に言うなら「アファーマティブアクション」)は行われるべきです。これは、米国や欧州の研究者公募でも、「アファーマティブ・アクション」や「機会均等」を付加した公募は常識と言ってもよいと思います。ところが、公募の段階で、「限定」、つまり変えることができない「性」により、別の性を「排除」するというのは、行き過ぎではないか、と多くの人が感じるのではないでしょうか。また、トランスジェンダーの場合は、どうなるのか、という疑問も生じる。でも、日本では、これがわりと広く許容されてしまうわけです。


「Justice」のサンデル教授と考えてみる

この手のポジティブ・アクションやアファーマティブ・アクションについては、様々な議論がある。日本の場合、こういうのは訴訟にまでなったりしないので、議論も深まらないし、「公的」な見解もあまり存在しない。おそらく、それぞれの研究機関は、こういうもの、人事のプロセスについて、マニュアルみたいなものを作って、それを「公開」するべきなのだと思います。

米国では、何でもすぐ訴訟になったりするので、議論は深まっているでしょう。ハーバード大学の前学長で辞任に追い込まれた経済学者サマーズ氏の発言問題などは、記憶に新しいところです。簡単に議論をまとめたものに、ハーバード白熱教室でのマイケル・サンデル教授の授業があります。
「入学資格を議論する」
http://www.nhk.or.jp/hakunetsu/harvard/lecture/100530.html

http://www.justiceharvard.org/2011/02/episode-09/
(古い授業。最新の授業はEdXで、視聴可能。サンデル教授の本も出ていると思います。)

その中では、3点の議論をしています。


(1)「機会を与える」

少し話がずれますが、日本の教育問題の1つは、都市部、特に東京などと地方、例えば、東北の田舎などとの、教育環境の差があると、私は思います。これは、家庭の所得ということにも関係しているだろうし、指導力のある塾があるとか、参考書を買えるとか、そういうものも関係している。人々に平等なチャンスを与えていない。例えば、これを補正するために、地方に住んでいて、年間所得が低くて、子供が多い場合は、センター試験の点数を加点するというような制度を作ったらどうか、と私は思うのです。つまり、教育環境で、同じ機会を与えていない。これが、このところ流行のトマ・ピケティ理論を連想させる格差の1つであるわけですが。

こういう議論が男女間でどうか、というと、そういう部分というのは、今の日本ではそれほど深刻ではないのではないか、と思います。例えば、女子だからという理由で、塾には通わせない、こういう家庭はそれほど多くはない。もちろん、そういう家庭もあるとは思いますが。特に、大学院まで進学させて、研究者になるようなレベルですと、こういうキャリア形成過程での格差というのはほとんどない、と思います。ましてや、大学、大学院での教育では、男女で違った対応を取るというのはありえない。もしあるとしたら、それは除去しなくてはなりません(例えば、男性だと、チャレンジングで面白い研究テーマを与えるのに、女性だと、手伝いみたいなテーマしか与えない教員がいるとか)。

ですから、研究者の公募において、個々人の過去のキャリアの過程での補正のために、ポジティブ・アクションを行うという理由は存在しないのではないか、というのが私の考えるところです。


(2)「過去の償い」

議論の2点目は、「過去の償い」ということ。これは、個人の過去ではなくて、社会の過去の償いということでしょう。男女差別というのは、歴史的にはどんな文化でも存在していた。それは米国でも、北欧でも、パキスタンでも、そうですし、現実にそういうものが存在しているわけです。過去の事実を、現在の社会が償うことで、補正しようということです。日本の大学などにおいても、過去の差別的な経緯があって、それを現在、「女性限定公募」や「ポジティブ・アクション」を行うことで、償う。それは、社会全体をみれば、そういうことが行われることは納得する人も多いことでしょう。

ところが、この議論の最大の問題は、「なぜ、過去の世代の過ちを、現在やこれからの世代が償わなければならないのか?」ということです。

大学で言えば、現在の大学の執行部が男性優位となっている。ところが、その過去世代のツケを、これから研究者としてのキャリアを築こうとしている若い男性研究者に一方的に押し付けようとしているわけです。若い男性研究者は、力関係で言えば弱いですから、偉い男性がそのパワーを持って、そういうことを強いている。要するに「パワハラ」であるということです。ひどい場合になると、性格の悪い熟年男性研究者が、若手の男性研究者をいじめるために、こういうコンテキストを使ったりすることもあると思います。

日本の場合、これが非常に一方的にそれだけを強いているというのが、問題であると、私は思います。そして、男性優位社会で恩恵を得た過去の世代は、知らん顔で、依然としてプンプンと威張っているわけです。そして、ポジティブ・アクションの結果としての若い世代での女性の活躍は、熟年男性優位な執行部に対する評価となってしまう。過去の過ちによって恩恵を得た世代は、しっかりと自らの過去に向き合って欲しいと思います。

米国などの有力大学の学長が、女性になったりするのは、こういう観点から、過去の世代にも償わせるという意味があるのではないか、と思うのです。日本では、最近も京大や東大の総長などの交替時期になっていますが、依然として、男性総長ばかり。地方の大学などでもそうでしょう。やはり、「なぜ、過去の世代の過ちを、現在やこれからの世代が償わなければならないのか?」という素朴な疑問に、過去の世代が全く応えようとしていない、ということです。戦争などの過去は、大昔のことになってしまい、過去の世代は実際には存在しなくなっている。一方、男女差別などの問題は、過去の過ちによって恩恵を得た世代がまだ活躍しているのにも関わらず、そういう人達は、何も償いをしようとしない。とても変であると思います。 どうせ202030の数値目標を目指すのなら、1年以内に全国の大学の学長の30%を女性にするという極めて具体的な目標を作ったらどうでしょうか。

(3)「目的」

さて、サンデル教授の議論の3つ目は、「目的」、つまりダイバシティーということです。この「目的」というのは、いろいろな観点がある。

米国ですと、医師でも、弁護士でも、マイノリティのコミュニティで働いてくれる人がいないと、困るわけです。ですから、そういうダイバーシティは大学院の入学について、必須なものという議論は納得できるものです。日本でも、地方の医学部などに、地方枠というのがあったりする。これもそういう職業の目的上、そういうことをしなければならない「具体的な目的」があるわけです。ところが、科学研究者の場合、男女、人種、出身地などについて、ごく特殊なケースを除いて、こういう具体的な目的というのは存在しないのではないでしょうか。

科学研究者の場合、具体的な目的というより、抽象的な目的というのは、しばしば議論されると思います。例えば、アイデアに多様性が必要なのだと。。でも、これは抽象的過ぎて説得力がないし、その多様性を生み出すために、研究者の性、国籍、人種、出身地などというのは、1つの因子であっても、研究分野、教育などのキャリアなどの多様性の方がもっと大切でしょう。

日本の場合、人口が少なくなっていくので、そのために、女性や高齢者を働いてもらって、労働力を増やす必要がある。これは、国の事情によるのでしょう。でも、国の経済という金儲けが目的という意味で、その目的は高尚ではないです。あるいは、世界の他の国では女性が活躍しているのに、日本はその度合が低いので、そうするのだ。これも、国の事情によって生じた「目的」ですが、国の名誉みたいなものが目的という意味で、何かちっぽけに聞こえます。更には、人権の立場から、そういう方向を目指す必要があるのだという「目的」。これは多くの人が納得する議論であるので、結局のところ、ここに目的があるというのは議論しやすい。でも、人権というのは、世の中には他にもいろいろあるわけで、なぜ男女共同参画にプライオリティがあるのか、というのは説明が難しいかもしれません。

更に、そうした目的を達成するために、「ロールモデル」を作る必要があるのが目的なのだと。。「目的の目的」。そういう議論もあるでしょう。

女性限定の研究者公募では、その目的が一体どこにあるのか。それを特定して説明できるのでしょうか?

こういう対象を限定する公募で、日本で実施した方が良いと思われるのは、日本国籍以外の人物に限定した公募でしょうか。これですと、英語で授業をやるとか、そういう「具体的な目的」があるわけです。また、欧州では、自国民以外の国籍を持つ研究者に限定した公募や研究費枠というのは、しばしば見かけます。


不誠実な運営を蔓延させるにんじん作戦
女性限定公募を出すような大学というと、筑波大学とか、広島大学とか、そういう中堅大学が多いと思います。この背景には、文科省あたりの顔をうかがって、予算を得よう、予算を減らされないようにしようという「媚び」の姿勢が背景にあるからではないでしょうか。これも、国立大学法人化以降、様々な予算の主導権をめぐって、文科省(更にその上にある財務省)と大学との力関係が変化してきたということが背景にあるのかもしれません。もう少し、文科省に対して強い立場に立てる大学などだと、こういうことはやらないと思います。あるいは、こういう中堅大学のリーダー研究者や事務関係者が、知識に乏しいのか、人権意識が低いのか、国際感覚がすこぶる欠如しているのか。ようするに「自分達のやっていることがよくわかってない」ということもあるかもしれない。つまり、文科省などに対する媚びの姿勢と、知識の欠如や運営センスの貧弱さが結びついて、こういう公募を出してしまうのかもしれません。

もっと言ってしまうと、こういう公募を出すというモーティベーションというのは、「男女共同参画」にあるのではなくて、実はエゴイスティックな「予算獲得」、更には熟年男性中心に運営されている組織の「評価向上」にあるのではないか、ということです。「女性限定のポスト」には、女性を就けておいて、別の普通のポストには、その女性を就ける必要がないので、影でコソコソと自分のコネで男性研究者をポストに就けるとか、陰湿な人事がありそうです。そして、これでは、数値目標を達成して評価を得る熟年男性リーダーが発言力を強めて、偉くなるばかりで、本来の目的とは逆の効果を与えてしまうという可能性もあったりするわけです。旧帝大のような良識的(?)な大学ですと、やはり「ポジティブ・アクション」「雇用機会の均等」などを前面に出した公募は行うが、積極的に排除するような公募はやったりしないでしょう。それでも、こういった大学でさえも、実は「ポジティブ・アクション」を行う動機に「組織全体の予算獲得」「男性中心組織の評価向上」といったものがある可能性があることは指摘しておく必要があると思います。(あるいはそう感じるので、「(2)「過去の償い」」で議論したように、学長を女性にするなどして、その疑いを晴らす必要がある)

この点について、私の提案としては、男女共同参画の推進の目的で、目的外の予算を付けたり、削ったりするような誘導行為を、基本的にやめたらどうか、ということです。数値目標を達成すれば、組織全体に自由に使える予算を付けるとか、結局、金銭を獲得するためには何でもするという人間の心を煽っているようなやり方としか、思えない。文科省や大学、研究所で、議論したり、促進策をまとめるのは、どんどんやればよいのですが、それを実行に移す段階で、予算(運営費やポスト)という「にんじん」をぶら下げるような施策はやめたらどうか、ということです。もし付けるなら、育児施設のような「目的」がそれに完全に限定されたものだけにするべきでしょう。

それでも、心ある運営を行うリーダーならば、予算とは全く無関係に、自腹を切って積極的に推進するのではないでしょうか。例えば、仲のよい熟年男性の同僚のポストを廃棄して、女性研究者のポストを優先するとか。こういうことをやれば、真に正しい心を持った優れた運営をやる人がでてきて、真の目的が追求されるようになるのではないでしょうか。リーダーや運営に真に誠実なこころを育むような施策を行うべきです。これが、私が常々指摘している「愛」に基づく科学研究の組織運営や施策につながるのです。

日本の熟年男性中心の運営組織が、予算などのインセンティブがないと、男性ばかりの組織作りを何も考えずにやってしまうのは、あちこちで見られるのです。何かのメンバーリストを見ると、男性ばかりとか、そういうのは枚挙に暇がない。こういうのは、自分の利益にならなければ、何もやらないという姿勢が根付いてしまっている証拠だと思います。こういう意識を治療しない限り、男女共同参画という本来の目的は達成できません。

そもそも、こんな不純な動機で採用されたら、採用された本人が幸福ではないでしょう。採用する側は、そういう経緯を知っているので、育成したり、協力したりする意欲にも影響を与えそうです。


科学を行う人は誰であるべきか?
どんなことでも、こういう根本のところから、科学研究の政策、大学運営などを考え、議論してみることは大切なことだと思います。日本では、実は、こういう議論が非常に不足しているのではないか。結局、なりゆきにまかせて、本来の目的を忘れたような施策がなされ、施策は心ない人々によって権力や予算獲得に利用されるだけで、根本的なところが解決しないということになってしまう。

さて、サンデル教授の最後の問いかけは、こんなものです。
http://www.nhk.or.jp/hakunetsu/harvard/lecture/100530.html
「古代ギリシアの哲学者アリストテレスの正義論を紹介する。アリストテレスは、正義とは人々にふさわしいものを与えることだと考える。正しい分配をするためには、分配される物の目的を考えなければならないと論じる。最高のフルートは、誰の手に渡るべきだろうか。アリストテレスの答えは、最高のフルート奏者である。すばらしい演奏がなされることが、フルートの目的だからだ。」

科学の目的を考えれば、科学を行う人は誰であるべきか?最高のフルートが与えらるべきなのが最高のフルート奏者であるように、男女関係なく最高の科学者であるべきである。おそらく、頂点の科学は、こうあるべきなのでしょう。日本でも、米国でも、現状がそうなっているのか、というのには、疑問がありますが。。こういうのは、「女性枠」や数値目標の話題とも関係しているでしょう。また、ジェンダーとともに、もう1つの変えられない問題である「年齢差別」や「国籍」の問題とも関係しています。

「最高のフルート」を渡す最高のフルート奏者を探し、最高の演奏をしてもらう。そのためには、評判を聞き、実際に演奏を聞き、待遇を提示し、もてなす。そこでは、年齢も、性別も、国籍も関係ありません。科学者でも、こういう音楽演奏家のように、純粋に活躍の場を提供する。なぜ、科学者の業界は演奏家の業界のようにならないのでしょうか。

一方、「音楽の冗談」で出てくる演奏家のような2流の科学はどうなのか?でも、「2流の科学」って何か?科学ごとに価値の違いが生じているのは何故なのか?「2流の科学」は、誰が行うべきなのか?

結局、こういうのは、答えがない。そういうものです。でも、根本から考え直して議論してみるということが大切だと思うのです。次期科学技術基本計画の議論でも、アリストテレスくらいから議論してみたらどうだろうと思います。
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次回のブログの更新は、2015年3月を予定しています。

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2014年もまもなく終わろうとしています。2014年の科学を振り返るということで、ネイチャー誌がそういう特集記事を出しています。
http://www.nature.com/news/365-days-2014-in-science-1.16573

やはりCDBの件が、入ってしまいました。高橋政代さんの臨床も含めてですが。。今年の3月に「理研CDBを守れ」というブログを書きましたが、いろいろあったものの、CDBという英語名は守られたようでよかったと思います。ただ、3月時点で書いていたメンタルケアが考慮されなかった結果については、とても残念に思います。

なぜ、あの問題が日本の2014年度10大ニュースに列挙されるような時事問題になってしまったのか?そして、なぜ、問題の後始末に、窮地に陥っている何人もの若手研究者を助けることができるような金額である2x1400万円もの費用を要したのか?多くの科学者が不思議に感じていると思います。

さて、あの問題で忘れられない言葉に、竹市さんのこの言葉があります。
「どういう状況にあろうと、研究者はきちっと成果を出すのが大事だ」
http://www.kobe-np.co.jp/news/iryou/201406/0007091283.shtml

これは、スポーツの根性論とか、そういう精神論につながるものですし、研究費やポストを確保するために、結果を出すというのは大切でしょう。それはそうです。研究者だったら、これ以外の方法はないはずです。

しかし、結果を出しても、台無しにしてしまうような仕組みが、この世の中には多すぎる。結局、こういうのが、再生医療とか、そういう分野だけでなく、脳科学も含めて、日本の科学技術研究のあらゆるところで、問題になっている。

これらを考えてみると、その根源には共通した問題があることに気づくわけです。今回は、4つの提言を通じて、これらの問題をわがままに指摘してみたいと思います。


1)科学以外の要素を使って科学研究を競争させるな
神経科学者である下條信輔さんが、朝日新聞のWebronzaにコラムを執筆されています。その中で、理研BSIについての「暴露」みたいなものがあって、楽しく拝見させていただきました。特に印象に残った言葉として、「競争はあくまで科学のルール、研究そのものの価値評価に則った競争でなければならない。」というのがありました。

大変貌を遂げてきた日本の科学の「間違い」下條信輔
http://webronza.asahi.com/science/articles/2014122000006.html

これは、昨今の科学研究のあり方を考える上で、非常に重要な議論であると思います。STAP問題が、再生医療をめぐる研究費獲得競争と関わっていたというのは、メディアの報道でも見られたし、理研の「研究不正再発防止のための改革委員会」による提言でもこのような趣旨の分析があったと思います。今から10-15年くらい前、iPS細胞が世の中にでる前には、理研CDBも笹井さんも、再生医療関係のかなりの予算を持っていた。そして予算の分配権限を持っていたから、権力行使もできたわけです。ところが、2005年以降、山中伸弥さんらによるiPS細胞の出現によって、CDBや笹井さんの予算が激減したというのは事実であると思います。これは、予算というだけでなく、権力の縮小も意味していたわけです。

こうした中で、研究費、権力獲得競争に勝つ「決定打」として、iPSを上回るもの、割烹着、リケジョ作戦を使ったのではないでしょうか。一方では、再生医療関係の成果を出せ、結果を出せ、という文科省や財務省、更には社会の要請、あるいは外部や内部の研究者のプレッシャーもある。その結果、「手抜き」をして、ルールを守らなくても、とにかく結果を出したように見せかけることを優先する。そういう背景もあったのではないか、と思うのです。早く結果を出せとか、大きな成果を出せ、というようなプレッシャーがありすぎると、やはり仕事が丁寧でなくなるというのは、常です。これも、計画することが困難な科学研究の性格とは無関係に、科学研究を競わせている結果生じたわけです。

そもそも、科学研究に、科学の価値以外のものを大きく持ち込んだのは、米国学術界の商業主義みたいなものに原因があると思います。米国の科学で根本的におかしいと思うのは、プレゼンテーション能力とか、そういう売り込むような能力を科学者の能力として過剰に評価している。声が大きい科学者の研究ほど、その研究の評価が高くなる。プレゼンテーションのうまい科学者のセミナーは確かに心地はよいですが、私は、科学者のプレゼンテーション能力の評価などというのは、ある種のレイシズムだと思うのですが。。これは、アファーマティブ・アクションなどにも関係している議論です。いずれにしても、こういう研究そのものの価値とは違うものを過剰に評価してしまい、競争させるというのは、科学研究を歪める原因になっていると思います。

一方で、竹市さんの言葉を借りれば、「自然科学的に興味深いと評価」しただけだという言い訳もある。http://www.kobe-np.co.jp/news/iryou/201406/0007091283.shtml しかし、科学研究、特に再生医療みたいな分野では、自然科学的に興味深いという評価だけでは、逆に危険です。これは、核分裂が自然科学的に興味深いと言っていて、原子爆弾の製造を考えていないのと同じような論理です。私は、ここに、マネージメントのセンスの悪さを感じる。こういうのは、無作為の行為と認識されなくてはならない。つまり、その結果を意識して、介入することで、積極的にマネージメントする必要があるのです。誰かが科学以外の道具を使って科学研究の評価を捻じ曲げようとしないように意識する必要がある研究内容というのは存在するものだと思います。


2)運営における不誠実なヤラセ行為を止めよ
私は、STAP問題にあった背景の本質の1つは、「人事」であったと思っています。ところが、メディアなどでは、これを真正面から取り上げた記事を見たことがありません。1つは、小保方氏をCDBのユニットリーダーに採用した「出来レース」。これは、理研CDBの関係者は「出来レースではない」と言い張るが、本当でしょうか。幹細胞の分野のPIを募集するという「公募」の英文を書いたのは、一体誰だったのでしょうか?この出来レースを演出したことが疑わしい西川伸一さん(元CDB副センター長)は、都合が悪くなりそうになると逃げてばかりいるが、その経緯を詳細に説明するべきだと私は思います(私は、出来レースでなく、あの時点では責任を持って明確なリクルートを行うべきだったという立場です。そして出来レースだったから、無責任体制が生まれた。)。最近も、京大関係者である柳田充弘さん、佐々真一さんが、同じように、採用の経緯についての説明が必要だという考えを表明されていました(私のTwitterのRT参考@yamagatm3)。

もう1つは、理研CDBの次期センター長人事についても、理研の理事会に諮ろうとした、あるいは数回諮ったとされる(?)候補者は、一体、誰だったのか?(この記述を参考:http://scienceinjapan.org/topics/20140620b.html)笹井さんではなかったのか?この点は、川合理事あたりを中心に理研の上層部が隠蔽しているのでしょう。更には、その先は、文科省などの官僚の昇任人事や新設される日本医療研究開発機構AMEDの人事までつながっていることはなかったのか?これも、日本の学術界周辺に広く見られる「ヤラセ」体質が根源にあると見てよいのではないでしょうか?

こういうヤラセは、いろいろなところで見られる。例えば、演出効果が最大になる何月何日に突然発表するというサプライズ。STAP問題で言えば、笹井さんを次期CDBセンター長にするため、あの時期に発表し、それを使って、研究所の予算を獲得する。更に特定国立研究開発法人化をスムースにして、再生医療、国家戦略特区、男女共同参画など、アベノミクスの矢として、政府の施策のロールモデルに仕立てあげようとするタイミングもヤラセっぽいです。ここには、次の項目で議論する「官僚」が関係しています。

こういう「ヤラセ」が横行するのは、現代の科学研究体制の運営での病理であると思います。大衆をたぶらかすという誠実さのない行為が行われ、大抵の場合、その目的は、偉い人達が権力をほしいがままにし、利益を得るためでしかないと思います。そして、そのヤラセのストーリーを作るために、いろいろなストーリーが科学を含めて作られてしまうのです。STAPでのヤラセの大失敗は、ひたすらもみ消し。私は、政策に「ヤラセ」がなぜ必要なのか、よくわかりません。


3)科学者が、官僚をコントロールせよ
文部科学省関係の官僚であり、裏でこそこそと動いてきた菱山豊さん、板倉康洋さん、堀内義規さんあたりは、一連の報道でも全くといってお名前を拝見したことがありません。あるいは、理研も、出向官僚とか、公的組織なのに何故か世襲みたいな大河内眞さん(理研は昔の特定郵便局と同じなのか)とか、おられると思います。こういう官僚の方々というのは、普段は裏権力を使って、建築や研究などの予算をコントロールしているのに、問題が起こると、裏であることを良いことに、何も説明責任を果たさず、保身を考えているのでしょう。マスコミも、一般人である研究者のパパラッチなどやらず、こういう人達をよく観察し、「黒幕」として突撃した方がよいのではと思います。あるいは、マスコミそのものが、こういう官僚によってコントロールされているのかもしれませんが。

笹井さんの作戦も、結局は、官僚の機嫌をとって、一緒になって、予算を獲得しようとした。そういう経緯があったのでしょう。昔は、結構、官僚をコントロールできる科学研究者もいたのですが、最近は、予算という武器を持った官僚の機嫌を伺い、媚びを売るような研究者ばかりになってしまったのではないか、という現状があるのではと思います。

例えば、竹市さんの先生である岡田節人さんあたりだったら、事あるごとに官僚を叱り飛ばしたのではないか、と想像します。官僚のために科学者が動くのではなく、科学者が公僕である官僚を動かすのです。こういう関係が研究者と官僚の間にできれば、リーダーシップを取る研究者が、「科学」について不見識な言動を繰り返す下村文部科学大臣を教育するために文部科学省に乗り込むということも可能だったでしょう。逆に、文科大臣に、叱られて帰ってくるようでは話になりません。

私は、科学者が官僚より上に立って、真に科学的なメリットから、予算などの配分を決めるような仕組みを構築する必要があるのではないか?と思います。米国の官僚などは、公僕たる官僚の姿に近いと思います。もちろん、こういうことができるリーダー的科学者は、自らを律することができる研究者でなければならないことは論を待ちませんが。

これと関係して、CDB前センター長のメディアへの対応の仕方でも、言動を取捨選択、改変される可能性の高い「インタヴュー」ではなく、長文の寄稿などの形で対応した方が効果的だったのではないか、と思います。また、リーダー研究者は、ソーシャルメディア等を普段から使いこなし、危険性などに熟知するなど、慣れておく必要があると思います。そして、常々、こういう仕組みの問題を暴露していけば、科学者による科学研究政策の推進がやりやすくなるのではないか、と考えます。



4)科学者も人間であり、心理や感情の考慮が必要である
今年2014年の1月から始まったSTAP論文騒動ですが、12月19日に、その再現実験や検証実験が終わるという発表がありました。また26日には、ES細胞の混入だという報告も、遺伝研所長の桂勲さんを委員長とする委員会から報告がありました。やはり、大きく報道されていたようです。私は、むしろ、大きく報道させるように、仕向けたということがあったのではないか、とさえ思っています。そして、マスコミやら、あまり研究経験のないサイエンス・ライターみたいな人がいろいろコメントをする。それぞれ、もっともらしいことを言っているとは思うのですが、しかし、本質を突いているようには思えない。

私は、この時事問題というのは、もう少し「心理学」的に分析されるべきではないか、と感じています。もちろん、政治とか、研究費を含めての科学技術行政、 教育。。様々な要素があることは事実ですが、これまでのマスコミや研究者を含めての分析など見ていて、一番、欠けている視点ではないか、と。。

これも単純には書けないことですが、例えば、光るものを見て、本当に信じてしまった。それが人間関係等も含めた環境の中で思い込みが強まっていく。その中で「ごまかし」が始まる。あるいは「でたらめ」になる。そういうあの方の心の中の過程を含めて、政治に利用しようとした周りの人についても、どういう心理状態があったのか。笹井さんも丹羽さんもなぜ信じてしまったのか。笹井さんの報道対応の中ででてきた「細胞のサイズが違う」「実験をやったことのない人の机上の考えだ」なんていうのは一体なんだったのか?共同研究者の心理、あるいは、マスコミ の心理、大衆の心理など。。こういう感じの分析でしょうか。

場合によっては、「自由意志」に基づかないことだったかもしれない。うつ病で試料管理ができないとか、夢遊病者が殺人を犯してしまうような。場合によっては、精神鑑定なども必要なのではないか、と思います。そういう話は一度もでてこなかったのでしょうか?その過程では、法的には何の意味もない嘘発見器やfMRIなどの利用も参考程度にはなるかもしれません。この自由意志の問題というのは、実は大学院などでの教育問題にも関わっていると思います。教育では教えたりして育成することも大切ですが、職業選択上の不適性ならば早期に気づいてなんらかの措置を取るべきです。

ですから、周りの人が感じていたという「事実」を知ることは、大切だと、私は思います。これが真に「科学的」な態度です。竹市さんがCDB内部の調査報告書の中で「信頼性がないと判断して」削除してしまったと言われる内容ですが。。誰かが感じていたことという事実を記述するのが、科学的な態度であり、感じていたという印象は不確かだから記録に残さないというのは、科学的な態度だとは、私は思いません。実は、この不確かさ、曖昧であるという事実に、真実が隠されているのかもしれません。

こういうのは、ある意味で歴史研究や文学の世界かもしれませんね。科学的にいろいろ分析しても、やはり「自白」がない限り、本当のことは、最後までわからないと思います。。 こういうことがしっかり分析できるようになれば、「自死」などの背景理解や防止にも役立つことと思います。そして、実は、こういう科学研究者の心理や感情についての考慮が、男女共同参画を含めた日本の科学技術行政に根本的に欠損している視点であると思うのです。日本の科学技術行政には「愛がない」。私が、別のところで主張し続けてきたことです。

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次回のブログの更新は、2015年2月を予定しています。

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今年のノーベル賞は神経科学に関連深い内容が対象になって、世界的にも脳科学への関心が高まっている様子が感じられる今日このごろです。私も、10月中旬に日経バイオテクにノーベル賞関連コラムを書かせていただきました。

2014年度ノーベル賞と脳科学の未来(前編:生理学・医学賞、脳内GPS機能を担う神経細胞の発見)https://bio.nikkeibp.co.jp/article/news/20141016/179589/

2014年度ノーベル賞と脳科学の未来(後編:化学賞と全世界の脳科学研究をめぐる動き)https://bio.nikkeibp.co.jp/article/news/20141016/179596/
(日経バイオテクには、アカデミック版というのもあり、ac.jp、go.jpドメインからですと、安価で記事が読めるようです。http://nbt.nikkeibp.co.jp/bio/bta/

さて、今回は、日本の脳科学プロジェクトであるBrain/MINDS(革新的技術による脳機能ネットワークの全容解明プロジェクト、通称「革新脳」)について、こんなこと書いてもよいのか、という辛口の批評を行ってみたいと思います。日本のこのプロジェクトについては、数週間ほど前に、ようやく本格的なホームページが立ち上がっています。研究成果を説明するものでなく、構想を説明するだけのホームページなのに、とても仕事が遅いです。
日本語:http://brainminds.jp/
英語:http://brainminds.jp/en/
(まず、このホームページは、http://brainminds.jp/の方を、英語にするべきでしょう。)

ヨーロッパのHuman Brain Projectでは、それに異議を唱える神経科学者の人達が、公の場で、Human Brain ProjectのHenry Markramさんの目標は、「Fraud」だと明確に書いたり言ったりしています。「Fraud」、日本語で言えば、「詐欺」「不正」だと、抗議しているわけです。日本に巨大科学プロジェクトがあったとして、科学者が「詐欺」という刺激的な言葉を使って、公に抗議することを許容するような文化があるのでしょうか。そんなこと言ったら、科学者コミュニティから村八分にされて、干される、潰される。日本の科学者コミュニティには、こういう文化があるのかもしれません。少なくとも、こうした批判ができる寛容で健全な科学研究環境を熟成することが大切だと、私は思います。

日本の生命科学系の巨大プロジェクトの一般的な問題点

日本の生命科学系の巨大プロジェクトで、私が思い起こすのは、まず、1990年代に米英を中心に行われた「ヒトゲノム計画」への貢献度の低さがあります。もう1つは、「タンパク3000」と称する蛋白質の立体構造解析プロジェクトで好熱菌のタンパクの構造を解いたものの、数を稼ぐだけに終わってしまったことでしょうか。これらについては、様々な議論が可能であるとは思いますが、多くの課題、問題点が指摘されていました。

ヒトゲノム計画については、当時、慶応大の清水信義氏が、「日本のトップランナー清水信義が説くヒト「ゲノム」計画の虚と実」(2000年) という本の中で、東京大学(当時)の御子柴克彦氏と中村祐輔氏を、名指しで批判したことなどがあり、話題になりました。
「研究費を巡る行政の矛盾、一流の研究者が育たない学 閥の壁、業績を公正に評価しない日本のアカデミズム、遺伝子情報を求め迷走する大企業、国家プロジェクトとしての自覚がない日本という国…。」
その他には、リーダーとして自らやその関係者の名誉や権益を求めることには懸命でも、本気になって特定科学プロジェクトのみにそのエフォートを集中していなかったというリーダーとしての基本的な態度に欠陥があった。そして、研究者にそうしたアクションを取らせ、研究体制を構築させてしまう日本の行政のあり方も問題であったと思われます。

タンパク3000についてもネイチャーの英文記事や中村桂子さん(生命誌研究館)の朝日新聞の記事などで、その問題が大きく論じられました。
その様子を伝えるブログ記事1
その様子を伝えるブログ記事2

「米国では必要性や実現可能性を検討するが、日本ではそれらなしにいきなり大型プロジェクトが開始され、評価が生かされずに次に進んでいく。税金の投入や成果も問題だが、そこに大勢の若者が投入されることも気になる。これでは科学の本質を深く考える科学者が育たない。学問と社会の行く末を見つめ、難しさにたじろぎ、悩みながらも重要な課題に挑戦するのが科学者である。」(中村桂子氏 http://buu.blog.jp/archives/50339835.htmlから引用 )
更に、これなどは、数を稼ぐこと(数値目標)にこだわってしまう日本の官僚主導型のプロジェクトの矛盾が表出したものではないか、と思われるわけです。これなども、事前に科学者コミュニティで深い議論をすれば、もう少し有用なことができたのではないか、という反省はあるのではないでしょうか。

こういうプロジェクトで感じるのは、やはり日本のリーダー的科学者のリーダーシップの自覚のなさや基本的姿勢の問題の問題です(以前に拙ブログ「深刻だが気づかれていない問題」でも指摘しました)。そして、他の科学技術行政でもしばしば指摘されている一部の御用学者と官僚的な行政との間での権益の癒着、秘密裏に何かを計画することで「後出しジャンケン」みたいなことをやるといった倫理とアカウンタビリティの欠如、科学的なメリットではなく個人的な人間関係(コネ)が最初にあって、それを前提にして科学研究の具体的プロジェクトを提案する、などが、このような問題点の背景にあったとみることができると思います。

Brain/MINDSの中心課題となるコモンマーモセットのプロジェクトを見ていても、これらと全く同じような雰囲気があるのです。


マーモセットを考える

コモンマーモセット(Callithrix jacchus)が、小型で取り扱いが容易で、繁殖力が比較的高い、そして高次の脳機能をもつサル(霊長目)であるということから、脳科学の実験動物として利用できる。そして、これを米国のBRAINイニシアティブや欧州のHuman Brain Projectに対応する日本の巨大?脳科学プロジェクトのメインテーマにしたというのが現状なのでしょう。今年10月中旬のNatureにコモンマーモセットの日本の野心的なプロジェクトについての紹介がでていたことは、ご存知の方も多いと思います。
Marmosets are stars of Japan’s ambitious brain project
http://www.nature.com/news/marmosets-are-stars-of-japan-s-ambitious-brain-project-1.16091

この記事、一見、日本のプロジェクトを好意的に紹介するプロモーション記事のように見えるのですが、最後の方で、NIHのAfonso Silvaさん(http://neuroscience.nih.gov/Lab.asp?Org_ID=510)が、コメントしています。
“I would love to see one single important disease studied in great depth,” “Validating the approach on that one disease will then enable the project to be repeated in other diseases.”

なぜ、この人がコメントしているのだろう、という素朴な疑問もありますが、これはある意味で批判的なコメントなのでしょう。あるいは、日本の研究者がこの人の口を借りて、何か都合のよいことを言わせたという見方もできると思いますが。。

要するに、マーモセットを使って、どんなことができるのか、1つの例(ケーススタディ)で見てみたいというのです。グラント審査みたいな非常によい模範的なコメントだと思います。その過程で、様々な問題点がでてくるでしょうし、解決策も見つかるかもしれない。逆に、うまくいかなくて、絶望的になるかもしれない。結局、マウスなどの他の動物を使ってわかっている以上の知見は、ほとんどでてこなくて、お金だけ使って、基本的に美術作品を掲示するだけの膨大な確認研究に終わる可能性もある。もちろん、「牛馬的研究(牛でわかったことを馬で研究する)」というのも、考え方によりますが。。


マーモセットという方便

コモンマーモセットについては、いろいろと話題になって、この動物の研究をすると、良いポストに就任できたり、研究費が沢山入り、ハッピーになるということで、多くの人の関心を集めているものと思います。また、ポストポスドク問題で、職が見つからない人なども、これに関わると大切に扱われそうな雰囲気がある。こういう理由で、日本では話題になっているのだと思いますが、米国では話を聞くこともないので、関心をなかなか持ちにくい。一度、レクチャーでも聞いてみたいものです。マーモセットの切片を抗体で染めただけで、日本で良いポストが見つかるのなら、私もやってみたいです。

こういうのも、この材料を宣伝することで、研究費とポストという権益を獲得することができるという社会的背景があるのではないか、と思います。そして、日本の場合は、このやり方が直接的あるいは間接的に、そして陰湿的に、排他的である、という問題があると思います。こういうのは、特に若手研究者の「ヒラメ化」(上ばかりを見て陳腐化する)をもたらし、日本の学術の「(悪い意味での)ガラパゴス化」(閉じられた小さな世界でのみ通用するように独自に進化する)につながる可能性があるので、注意するべきことだと思います。


マーモセットの実験は再現できるのか

そもそも、マーモセットについて、調べようとすると、詳細に説明している適切なウェッブサイトが見つからないし、資料などあっても、「都合のよいこと」しか、書いてない。
http://www.lifescience.mext.go.jp/files/pdf/n1038_01.pdf
十分な説明責任を果たしていないのではないでしょうか。何か、隠し事でもあるのでしょうか。物事には、都合のよいこともあれば、悪いこともある。その現状を率直に認めることで、どう解決していけばよいのか、そういう研究やアイデアを求めることが大切であるわけです。この動物は、つがいで100万円近くするらしい。もちろん、自分で繁殖していれば、そんなことはないでしょうが。。この価格を聞いただけで、とんでもない、というイメージがあります。何か論文を出しても、それが本当なのか、世界中の誰も再現できないでしょう。そもそも、マウスのように増えないし、動物が入手できないのです。これでは、再現性のない微妙な結果ばかりが報告されそうです。そして、その結果を信じたらよいのか、誰もわからない。特に、統計学的に微妙な結果が多くでてくる神経科学や動物行動学では、データの数を増やすことが大切でしょう。でも、そんなこと、どこにも書いてないです。


マーモセットの印象操作

この世の中では、説明の仕方で、いろいろ印象が変わるというのは常です。科学なんていうのも、そういうものです。同じことを説明するにも、違う説明の仕方 をすれば、印象が良くなったり、悪くなったりする。論文の書き方でも、同じデータを使っても、その並べ方や説明の仕方で、良いジャーナルに掲載されるか、 されないか、決まってしまうという面がある。科学的な発見や研究なんていうのは、かなり印象操作が大切になっているものです。

マーモセットの説明の仕方を見ていると、まずマカク(旧世界ザル)などの他のサルと比べる。そして、マーモセットの優越性を主張するわけです。
http://www.ciea.or.jp/division2.html

私が見てみたいのは、マウスとの比較表でしょうか。そのうちに、作ってみようと思っているのですが。。他のサルと較べて、マウスと較べないというのは、1つの印象操作なのでしょう。また、霊長目を用いた研究を実施する時には、欧米では大問題になると思われる動物実験の倫理的課題についても、あまり騒ぎにならないように巧みに回避しようとしているのではないか、という態度があるように感じます。


マーモセット・コネクトームの本気度

岡野栄之先生ら(慶応大学)のNeurosci Researchの解説(総説?)を見ると、こんなことが書いてある。
http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0168010214001904

「A new method of serial EM, developed by Prof. Jeffery Licht-man’s laboratory at Harvard University (http://www.hms.harvard.edu/dms/neuroscience/fac/lichtman.... will be used to map neu-ral connections (connectomes) at nanometer resolution. This andsimilar EM-based technologies have enabled researchers to quan-titatively map the precise location of cells, synapses and evenorganelles in a certain micro-domain of the brains (Bock et al., 2011;Briggman et al., 2011; Chklovskii et al., 2010). However, quantifica-tion of the EM-based micro-connectome for the entire marmosetbrain is not realistic within the limited time period of Brain/MINDS.Thus, Brain/MINDS will focus on mapping the brain regions that areintimately involved in higher brain functions or associated withdisease. It is important to develop new technologies that connectand integrate the EM-based microscopic mapping with the light-microscopy-based mesoscopic mapping.」

こんなものも誤魔化しみたいな感じがする。適当にその高次機能に関わると言われてきている場所の小さなブロックを作って、切片を沢山作って、写真を撮影し、リコンストラクションして、少しばかりの神経細胞のコネクトームと称する「美術作品」を見せる。こんな結果であっても、堂々と成果だと発表できるような書き方だと思うのです。科学的にメリットのないこんな提案でしたら、例えば、NIHのグラント申請では、落選確実でしょう。

実は、私の現在のプロジェクトの1つも、Lichtman研のシステムを使わせてもらっていますが、電顕の予約が一杯、更に切片を集めるテープが入手できない とか、で困難な状況にあるのです。本家がこんな状態なのに、マーモセットなど真面目にやる余裕があるとは思えないです。是非ともやってみたくなるような ワクワクとするような具体的構想がないと、なかなか難しいのではないか、と感じます。(違うのだと言う人がいたら、是非、反論して欲しいです。)

コネクトームでは、対象が小さいほど、容易に研究しやすいという利点はあるでしょう。一方、脳での神経活動を見たりする技術の適用は、マーモセットの脳が小さいということは、利点にもなりえますが、欠点にもなりうることを明確に指摘するべきでしょう。

モデル動物としての欠陥?
以前、どこかで目にしたことがあったのですが、私が最近、気にしていること。詳しい方がおられたら、是非、教えて欲しいと思いますが、「キメラ」の話です。マーモセットのキメリズムの問題ですが、ここに割合とよくまとまった記事がでています。どういう証拠から、そういうことを言っているのか、というのは、オリジナル論文をご覧になるとよくわかると思います。
http://johnhawks.net/weblog/reviews/genomics/primates/marmoset-chimerism-2014.html

要するに、お腹に2つ、3つの赤ちゃんA, Bがいた場合、個体Aの細胞が、別の個体Bに入り込んでくるというのです。血液系の細胞については確実で、体細胞については、以前考えられていたほ どでもないが、そういう状態があるのではないか。更に、不思議なことに、生殖系列も、キメラになっている。というのです。つまり、Aが+/-で、Bが-/-だったら、Aの+/-の細胞がBに入り込んでくるというわけです。この現象はとても興味深いですが、実験動物として使うという場合、深刻な問題を意味していることは、モデル動物を使っている研究者なら、わかると思います。

文献上は、脳などの神経系について、調べたという報告はないみたいです。こういうのは、GFPを組み込んだ形質転換動物を作って、それがどこで見られるか、こういう実験があると、簡単にわかるでしょう。既に、やっているのでしょうか。でも、結果によっては、発表すると、このモデル動物の根幹を揺るがすような事態になりそうです。いずれにしても、どんな結果でも、この疑問に答えているような論文を見てみたいものです。

最後に
実は、マーモセットについて、もう少しまとめて何か書いてみようと、考えているのです。このブログは、そのたたき台にするために書いたという意図があります。私自身は、全然、扱ったことのない生き物ですが、そういう観点から、素朴な疑問点、問題点、更に、研究体制や研究組織の問題を含めてですが。。日経バイオテクに「脳科学」に関するコラムを連載したという経験、金澤一郎氏が翻訳を監修したという「Principles of Neural Science」に、日本人として、名前が最も多くでてくるという研究者であるという過去(現在は落ちぶれて、消えていくだけ)。更に、このBrain/MINDSプロジェクトとは、全く利益相反関係がない、こういう気軽な立場ですので、いろいろなことを忌憚なく書けるはずです。もし、こういう問題がある、こういうことを指摘して欲しい、問題はあるがそれを無視してもすごい、という点があったら、是非、お知らせください。

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米国NIHのBRAINイニシアティブのプロジェクト公式発表
しばらく前に発表されたNSFのBRAINイニシアティブ関係プロジェクトの発表に続いて、9月30日(米国東部時間)に、米国NIHのBRAINイニシアティブの最初のプロジェクトの内容が公開されました。ホワイトハウスにおいても、コンファレンスが開かれるとともに、大学など各研究施設でも大きなプレスリリースがなされました。

NIHのFrancis Collinsディレクターが、そのブログの中で「America's Next Moonshot」という言葉を使いましたが、この言葉の中に、その意欲のすべてが現れているような気がします。
http://directorsblog.nih.gov/2014/09/30/brain-launching-americas-next-moonshot/

ホワイトハウスでも、BRAINイニシアティブのページが設置され、最近の動きを「ファクトシート」の中でまとめています。
http://www.whitehouse.gov/brain
ファクトシートのダウンロード(pdf)。
http://www.whitehouse.gov/sites/default/files/microsites/ostp/brain_fact_sheet_9_30_2014_final.pdf

これによりますと、政府関係の参加機関として、NIH, NSF, DARPAに加えて、FDA(食品医薬品局)そしてIARPAが加わっています。IARPA (Intelligence Advanced Research Projects Activity)というのは、簡単に言えばCIAの機関です。諜報機関も加わって、認知科学の研究に挑むということになるのでしょう。また、先回のブログでも取り上げたように、政府関係の機関だけなく、Google、GE(General Electric)などの民間企業、更に、Simons Foundationなどの新たな民間財団が加わっています。NIH, NSFだけでなく、軍事、諜報、民間企業、民間財団も含めて、大きな動きを見せているところが、米国のBRAINイニシアティブの特徴でしょうか。
Simons FoundationのGlobal Brain
http://www.simonsfoundation.org/life-sciences/simons-collaboration-on-the-global-brain/

ホワイトハウスでのコンファレンスでは、若い大学院生や大学生がコメントを読み上げ、このプロジェクトについてのコメントを読み上げました。人材育成の上でも、大きな効果が期待されます。
The White House Conference on the BRAIN Initiative (YouTubeで3時間あまりの内容のうちの半分ほどが紹介されています。)
https://www.youtube.com/watch?v=6MEGFFlMHpQ

NIHのBRAINイニシアティブで今回選定されたのは、やはり出来レースとも言えるような、米国の神経科学の中核となる機関や大学の研究者です。それぞれのプロジェクトの詳細はこちらから。
http://www.braininitiative.nih.gov/nih-brain-awards.htm

今回は、個々の研究課題について、本ブログでは、詳細なコメントを書く余裕はありませんが、「神経科学者SNS」の日記ページでも、時々紹介していますので、もう少し深い内容を知りたいという方はそちらの方も御覧ください。
https://neurosci-sns.nips.ac.jp/


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Human Brain Project (ヨーロッパの巨大脳科学プロジェクト)
さて、米国のBRAINイニシアティブの発表と同じ週に、ヨーロッパEUのHuman Brain Project(HBP)の方も、ドイツのハイデルベルク大学でHBPサミットが開かれ、その状況が報告されました。
https://www.humanbrainproject.eu/
このHBPサミットは、スイスのCERNの60周年式典と同時に開かれていたのです。これは単なる偶然なのでしょうが、HBPを、EUのフラッグシッププロジェクトとして、CERNのようなものにしたい、という願望が込められているような気がしました。このサミットには、米国の関係者や、日本からも慶応大学の岡野栄之教授などが参加し、Brain/MINDSプロジェクト(Brain Mapping by Integrated Neurotechnologies for Disease Studies)を紹介しました。



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その他の国の脳科学プロジェクト
さて、米国やヨーロッパだけでなく、中国でも、その資金力、人材力を使った脳科学プロジェクトが始まっています。まだ議論があるようですが、基本的には、トランスレーショナルな研究に重点が置かれるようです。
Where to the mega brain projects?
Mu-ming Poo (Institute of Neuroscience, Shanghai Institutes for Biological Sciences, Chinese Academy of Sciences, China)
http://nsr.oxfordjournals.org/content/1/1/12.full

HBPのサミットでは、Luo Qingming氏 (華中科技大学、武漢市)が説明をしていたようです。

また、Brainnetomeと名付けられたプロジェクトも中国の脳プロジェクトの中心になると思われます。
Brainnetome Center, Institute of Automation, Chinese Academy of Sciences, Beijing, 100190, China
http://www.brainnetome.org/en/
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/23571422

韓国では、Center for Functional Connectomics (http://cfc.wci.re.kr/english/portal.php)が、設立されました。

オーストラリアでは、AusBrain。
http://www.theguardian.com/world/2014/feb/24/australian-scientists-should-set-minds-to-developing-bionic-brain-report
AusBrainのパンフレット(pdf)。
http://www.sciencearchive.org.au/events/thinktank/thinktank2013/documents/FINAL%20thinktank2013%20recommendations_embargoed%20till%2025feb.pdf

HBPサミットでは、Bob Williamson氏 (Australian National University)が説明していました。

数理や理論に伝統があるイスラエルの神経科学。 
IBT (Israel Brain Technology)
http://israelbrain.org/

EUとは別に、東欧の国でも脳科学への投資が始まっています。例えば、冷戦時代から脳科学の伝統があるハンガリー
Hungary launches 39 million euro brain research program, the single largest scientific grant in country’s history
http://ibro.info/news/hungarian-brain-research-program/

アジアで生命科学に力を入れているシンガポール
Launch of Singapore’s largest neuroscience research institute
http://news.nus.edu.sg/highlights/7479-launch-of-singapore-s-largest-neuroscience-research-institute

なお、数年後に、米国、EUを含めたこれらの活動が一同に集まる会合が、Allen脳科学研究所の主導で計画されているとのことです。

brain


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さて、先月のブログの続きです。私は、2014年1月から3月まで、日経バイオテクに「脳科学の未来」と題する連載記事を書かせていたできました。
http://masahitoyamagata.blog.jp/archives/1970798.html

今回は、その「脳科学の未来」の第6回「7つのチャレンジ」の部分を、日本の脳科学発展の議論のきっかけとするために、公開しておきたいと思います。
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「脳科学の未来」第7回「7つのチャレンジ」(https://bio.nikkeibp.co.jp/article/news/20140326/175032/>日経バイオテク記事に追加)
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日経バイオテクには、アカデミック版というのがあって、大学(ac.jp)、政府機関(go.jp)のドメインに所属されている場合は、安価で記事が読めるプランがあるということです。
http://nbt.nikkeibp.co.jp/bio/bta/
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曖昧な目標と不十分な方法論

これまで5回にわたって、「脳科学の未来」と題して、米国のBRAIN Initiativeの動向と、それに含まれるコネクトーム、コネクトミクス、機能的脳マップ、ビッグデータなどのトピックスについて紹介してみた。最終回の今回は、巨大な脳科学プロジェクトとしての問題点や課題を検討してみたい。

その前に、まず、全体を振り返ってみたい。以下がこれまで解説してきた項目である。議論を理解するために、今一度、各項目についての概念と現状を確認していただきたい。

各項目へのリンクはこちらのページから。
http://masahitoyamagata.blog.jp/archives/1970798.html

前半の「コネクトームへの挑戦」では、ニューロンのつながり方の総体としてのコネクトーム、そしてその研究法であるコネクトミクスのいくつかの例、更に、このような方法論が適用された単純なモデル動物、モデル材料について概観した。後半の「機能的脳マップへの挑戦」では、神経活動を可視化する方法、fMRIの活用を中心としたヒトコネクトームプロジェクトについて簡単に解説してみた。また、このようなプロジェクトで得られたデータをどのように扱うか、という問題について、主にビッグデータの観点から論考してみた。

米国のBRAIN Initiativeの場合、こうした「コネクトーム」「脳マップ」というゴールが中核になっている。ところが、2013年4月にオバマ大統領によって発表されて以来、反対論を含めた様々な議論が出ているのも事実である。ここでは、7つの観点から、議論をまとめてみたい(図1)。

(その1)目標は何なのか?
オバマ大統領のBRAIN Intiativeは、「アポロ計画」や「ヒトゲノム計画」と対比されるような大型の科学プロジェクトであると、標榜されている。では、過去におけるこれらの計画と何が違うのか?

ケネディー大統領が提唱した人類を月面に着陸させるという計画の目標は、単純明快だった。改めて説明する必要もない。ヒトゲノム計画は、ヒトゲノムを構成するA、T、G、Cという4つの塩基からなるDNAの配列を決めるということであった(図2)。DNAが2重らせん構造をしていて、その線状の配列はデジタル的な情報として記述でき、生命体が世代を超えて伝えていくゲノムという実体は明確だ。もちろん、ゲノム構造には、クロモソーム中のテロメア、配列決定が困難な反復配列、DNAメチル化のような4塩基以外のエピジェネティックな修飾もある。更に踏み込めば、本当に完全にDNA配列が決まるというゲノムという実体の存在は、現在においても仮説なのではなかろうか。ヒトゲノムは個人によって違うので、誰のDNA配列を決定するか、という議論もあったし、男女の違いというのは、決めるゲノムが1つではないということの大きな例である。しかし、それでも、ヒトゲノムの全DNA配列をひとつの目標として決定するというのは、ほとんどの科学者を十分に納得させる明確な目標ではあった。説得力のある目標があるというのは、極めて大切である。コネクトームや脳マップの場合は、どうだろうか?

コネクトームの場合、センチュウのように同じ遺伝形質を持った個体であれば、同じコネクトームを持つという場合は、目標を立案し、実行できる。センチュウのコネクトームは、基本的に、どんな個体でも同じ形をしていて、記述できる「ステレオタイプ」なものだ。ところが、ヒトやマウスといった脊椎動物の場合、同じ遺伝形質を持っていたとしても、そのコネクトームは基本部分に共通性はあるとしても、脳のサイズも違うし、ニューロンの数も異なる。細胞レベルまで見た場合、細胞の形態も違うし、結合の証となるシナプスの位置もすべてが同じ座標上で定義できるものではない。

もちろん、ヒトやマウスでもひとつの個体だけをとれば、コネクトームという物理的な実体は存在する。ところが、別の個体では違う。つまり、コネクトームというのは、細胞レベルの構造まで突き詰めてしまうと、曖昧なものであり、異なる個体同士で重なり合わないものである。したがって、ある1つの動物種のコネクトームといった場合、異なる個体間での共通性のみに焦点があたる。個体差は、ゲノムに見られるSNPsのような遺伝的多型のような形で捉えることができるかもしれないが、個体間でのコネクトームの差は情報量としてあまりに大きく、単純に扱えるようなレベルのものではない。果たして、その差に意味があるのかもさえもわからない。更に、コネクトーム記述の道具として使う電顕写真というのは、デジタル的なDNA配列と違って、アナログ的であるので、膨大な情報を持っている。そして、電顕写真の質を変えたり、解像度を上げれば、更に多くの情報が得られる可能性さえあるということで、塩基配列というデジタル情報の決定で完結するゲノム計画とは大きな違いがある。

機能的脳マップについては、空間的な構造として物理的に定義ができるコネクトームより更に曖昧だ。そもそも脳の機能というのが、いくつあるのか、それぞれを区別できるのか、など、不明瞭である。仮に脳の機能の数を決めて、ある目標を立てたとしても、目標が終わったら、それほど飛躍しない次の目標が出てくるというのは容易に想像できる。これは、人類が月面に立てば、それで目標達成というのとはかなり違う。つまり、脳マップ作製プロジェクトの場合、目標の実体さえ曖昧で、シーシュポスの神話のように新たな目標達成を繰り返すサイクルに入ってしまう、という危険性がある。

加えて、現時点では、コネクトームと脳マップを結びつける技術が存在しないために、いくつかの異なるプロジェクトが整合性なく混在しているというのも、BRAIN Initiativeの目標が混乱して曖昧になっている原因である。この目標の曖昧さの問題について、説得力を向上させる現実的なアプローチとしては、例えば、「がん研究」のように疾患の制圧というようなものを、強くアピールするようなことだろうか。ただ、こうするとまた違った問題意識を持ち込むことになるので、焦点がぼけてしまうだろう。


(その2) 研究戦略として科学的に正しいのか?

神経科学者の多くがしばしば指摘するのは、コネクトームがわかっても、神経系や脳がどう働くか、全然わからないのではないか、ということだ。つまり、研究戦略として、コネクトーム情報の取得に多くの時間、人材、研究費を費やすのが、果たして正しいのか、という議論がある。ここでは、神経系を理解する際の本質的な「部分と全体の問題」、「可塑性の問題」、「機能発現の規模の問題」、「結合の性質の問題」の4つの視点を紹介してみたい。

センチュウの302個のニューロンからなるコネクトームは1980年代には完全に解明されているが、センチュウの行動についての研究は、未解明な点が多く、現在でも盛んに行われている。つまり、コネクトームがわかっても、それは役立っていないのではないか。これは、例えば、パソコンの中にあるチップやドライブなどのつながり方をみても、パソコンがどう動くかわからないという問題と似ている。つまり、パーツだけを見ても全体はわからないという指摘である(部分と全体の問題)。この議論は、「ビッグデータ(2)脳科学データリソースの充実」でも議論したDavid Marrによる「認知プロセス3段階仮説」と共通している。ところが、それでも、やはりどんなパーツがあって、それらがどうつながっているか、という情報は、無いより、あった方がよいのは自明である。センチュウの研究者も、コネクトームの情報を利用して、行動を理解しようとしているのだ。

脊椎動物の脳の特徴は、その機能や神経回路が、遺伝子ですべてが決定されるのではなく、環境との相互作用で大きく変化するという点である(可塑性の問題)。発達、加齢、疾病、傷害などで変化するというのは、他の臓器でも同じであろうが、脳は環境との相互作用、つまり体験を通じての学習や記憶でも変化している。1時間前の脳は、1分前の脳そして現在の脳とは状態が違う。非常にダイナミックなものだ。こうした変化している対象について、ある時間1点でのコネクトームが解明されたところで脳の本質がわかるのか?もちろん、発達、加齢、疾病、傷害で変化するコネクトームは、発達、加齢、疾病、傷害を特徴づける脳内の神経回路の変化を見出すことができる可能性があるので、意義は大きいだろう。学習や記憶については、現代の神経科学はまだその本質を理解しているとは言い難いのではないか。コネクトームの情報は、そのための基礎情報になるだろう。

脊椎動物になると、ニューロン間のつながりというのは、ぼやけた部分というのがある。そして、個々の神経回路に多少の間違いや不具合があっても、多数の神経回路があれば全体としては機能するので、その目的を達成できる。その極端な例は、何らかの理由で、脳の一部が失われても、それなりに機能はするという柔軟性を脳が持っているということだ。このことから、個々のニューロン間の結合というのは、絶対的なものではなく、確率的なものに過ぎず、それでも全体としては機能するから、コネクトームは重要ではないのではないか、という指摘がある(機能発現の規模の問題)。しかしながら、それでも、ニューロン同士はそれなりに正確につながっているから、神経回路は機能するわけで、結合がファジーだからといって、機能するために必要なニューロン同士の正確な結合というのは存在していないわけではない。

ニューロンのつがなりである化学シナプスには、興奮性、抑制性、その他、機能を制御するための様々なつながり方の様式があって、電顕で形態だけを見ても、シナプスの性質まではわからない(結合の性質の問題)。例えば、興奮性シナプスでは神経伝達物質としてグルタミン酸、抑制性シナプスでは神経伝達物質GABAやグリシンが使われている。更に、アセチルコリンやセロトニンといった神経伝達物質を使うシナプスもあるし、シナプスの働きを変化させる神経ペプチドなども存在する。そして、記憶や学習などにおいては、シナプスの性質が、生化学的に、増強されたり、抑制されたりする。つまり、つながり方の形態を見るだけでは、こうした情報は不明なので、コネクトームだけでは結局多くのことはわからないという指摘がある。これは事実である。しかし、それでも、コネクトームの情報は、それを基礎情報として活用するには大切なものだ。

まとめると、コネクトームのような情報は、「色鉛筆」で塗り始める前の「白地図」のような基本情報となるということである。研究戦略におけるデータ収集という意味で反対する人はほとんどいない。しかし、一方で、目標の曖昧さ、科学的説得力の弱さから、研究戦略として、それだけに優先的に研究を集中させるのは反対だという意見が存在するのも事実である。機能的脳マップ作製では、次項で示すように、現行の方法論そのものに本質的な問題がある。

(その3)方法論はあるのか?
方法論な問題点については、これまでの解説でも、それぞれの項目で具体的に触れてきた。結論から言えば、ヒトゲノム計画におけるDNA配列決定で用いられたサンガーシーケンシングのような基幹となる決定的方法論がまだ存在していないということである。

それでも、連続切片の電顕を使った撮影によって構築される解剖学的なコネクトームは、方法論的には現実性、着実性がある。ただ、画像解析の数が多く、複雑過ぎるがゆえに、高スピードで正確に行えないというような問題がある。しかし、これは、計算速度やマシンラーニング、あるいは人間の目を用いるなどの対策で、時間をかければ、可能であるという段階になっている。もちろん、現状では、その「時間」が、我々が考える常識的な時間内でないので、以前として小さな場所での部分コネクトームの理解に努力しているという段階である。相補的な方法論として、古典的な神経回路研究法や、新しいコネクトミクスの開発が盛んに行われている。

一方、機能的脳マップ作成の道具として中心的に活躍しているfMRIは、神経活動を直接見ているものではないので、ニューロン、あるいは更に小さなシナプスレベルまでの解像度を達成することは不可能である。これは、大きな問題であり、解剖的なコネクトームの情報との融合を目指す上で、乗り越えなくてはいけない根本的な課題である。マウスなどの実験動物では、様々な遺伝子操作を利用した方法論、例えばカルシウムイオンや膜電位の変動を観察できる蛍光タンパク質遺伝子の導入などが利用できるが、汎用性を高めるために更なる改良が必要であろう。また、それを達成するためには、顕微鏡技術や解析法の開発も欠かせない。特に、望まれるのは、非侵襲でありながら、脳全体の中で生じる真の神経活動を個々のニューロンのレベルで、そのコネクトームと同時に観察できるような決定的な方法論の出現であろう。また、ミクロのコネクトームとマクロの脳マップの間のギャップをつなぐような革新的方法論の開発が望まれる。

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巨大プロジェクトの説得

大きな規模の予算を使って研究推進するとなると、とかく反対する人々がいるのは、世の常である。つまり、プロジェクトが、科学者コミュニティのみならず、政治的、経済的、そしてパブリックに理解、支持されるのか、という点が大変重要になる。次に、科学的観点とは別の側面から、BRAIN Initiativeの課題を考えてみたい。


(その4)科学者コミュニティを説得できるか

2012年4月、Columbia Universityにおいて、MIT(現、プリンストン大学)のSebastian Seung博士(参考:コネクトームへの挑戦 (6) アプローチ可能な脳:網膜の世界)とNew York Universityの神経科学者Anthony Movshonの2人を中心としたディベートが開催された。Seung-Movshonディベートと呼ばれるほど有名になったこの討論会は、立場の異なる神経科学者の間での代表的な論点が討論され、その模様は、YouTubeでも公開されている。https://www.youtube.com/watch?v=q4KrhDZQ088

Seung博士は、コネクトームで、脳が大変よくわかるようになるというような推進派である。一方、「反コネクトーム」の立場を取ったMovshon博士は、コネクトームを研究するということの必要性は認めながらも、それだけではすべてはわからないので、コネクトームに多くの研究費を振り分けるのはやめるべきだという立場だ。つまり、コネクトームのみに研究費を費やすことで、多様な研究分野に研究費が回らなくなって、多くの神経科学者の研究費が削減される危険性を指摘している。

このような状況が生まれる場合、プロジェクトの内部の研究者も外部の研究者も、Win-Winの心理状況になるような配慮が肝要である。そのためには、プロジェクト作製にあたっては、議論をオープンにして、外部研究者の意見も聴取する。更に、プロジェクト実行にあたっても、すべてに透明性を確保することが大切になってくる。その意味で、Seung-Movshonディベートのような賛否両論を公開して議論するような機会を設けることは重要であると思う。

ここで、改めて確認しておきたいのは、「コネクトーム」「脳マップ」という言葉には、ふんだんにキャンペーン的な要素が含まれているということだ。ヒトコネクトームプロジェクトでは、実際にやっていることは、コネクトームではないのに、コネクトームという単語を使用している。ここ最近は、研究申請や研究に「コネクトーム」と入れておけば、魅力的に見えるといった風潮があることには注意していかなければならない。

特に、大きな予算が動くプロジェクトは、時に予算獲得の「方便」であることもある。目標を標榜し、それを対外的に宣伝することで、巨大な研究費を動かす。ところが、実際は多数の小さなプロジェクトを養うのが目的というようなことが、研究者コミュニティで歓迎されるという現実的プロジェクトに陥る可能性もないではない。目標の曖昧さや、研究戦略の科学的な説得性の弱さ、決定的方法論の欠如は、研究内容がいろいろな方向に分散する余地を残しており、研究者のリアリズムとプロジェクトの夢ある理念が対峙するという懸念は存在する。


(その5)世の役に立つか?
コネクトームや脳マップの作製が、医療など社会にある問題の解決につながるのか?創薬や治療法の開発にどれほど役立つのか?新しい産業が生まれ、ビジネスになるのか?人々の雇用が増えるのか?経済波及効果はどれほどか?

コネクトームや脳マップ作製に集中的に研究費をつぎ込むより、うつ病、統合失調症、アルツハイマー病、パーキンソン病、自閉症などの社会的な負担の大きな問題の研究と治療法の開発に、直接全力を挙げた方がよいのではないか、という意見が、こうした疾患を研究している研究者を中心にあるのは現実だろう。しかし、コネクトームや脳マップの成果は、結果として、うつ病、統合失調症、認知症などの疾患や自閉症などの発達障害を、最終的に神経回路レベルで、より深く理解できる可能性があるという点で、決して、無駄ということにはならないと予想される。また、頻度の高い疾患を理解するのと同様な分析手法で、頻度の低い精神神経疾患の理解にも同時に活用できるだろう。つまり、このようなデータを活用することで、これらの疾患の神経回路レベルでの診断が可能になり、個々の症例を深く理解することで、個別医療や創薬に活用できるかもしれない。

また、これまでにない情報を使って、脳に関わる全く新規なビジネスが出現する可能もある。特に、教育分野、神経経済学と結びついた商業活動、法廷の場での利用などは、その萌芽的なアイデアが既に散見される。しかし、現時点で、「儲かるビジネス」が簡単に想定できるのなら、多くの人が今すぐにでも開始するに違いない、という意味で、更なる推測はここでは控えておきたい。


(その6)納税者は納得するか?
一般に脳科学は、科学の分野の中でも、科学コミュニケーションやアウトリーチの対象として理解を得やすいという特異な分野になっている。学校教育の現場だけでなく、多くの大人の関心の対象になりやすいようだ。それは、脳や心の不思議というのが、ほとんどの人の知的好奇心を呼ぶからであろう。また、社会的な負担が大きい様々な精神神経疾患の解決に向けてのパブリックの関心については、説明するまでもない。それは、書店や図書館において、多数の脳関係の本が並べられ、実際によく読まれていることからも明らかであろう。

このことは、脳科学について、ニセ科学の範疇に属する話題が社会に広がる危険性を持っているといえるだろう。特に、脳科学の統計学的な有意性に基づいた科学的議論は、しばしば完全で断定的な知見としてひとり歩きして社会に流布するなど、大きな問題が生じやすい。科学には、教科書に書いてある事項のように、比較的、安定した事実と認識されているものもあるが、脳科学の場合、研究の性格上、白黒付けることができない「グレー」な事項というのが多いのである。こういう脳科学の特徴も含めて、正しい脳科学や神経科学のパブリックへの啓蒙は、このような巨大なプロジェクト実施にあたっては積極的に行われるべきである。

大切なのは、脳についての基礎情報が飛躍的に増えれば、脳科学特有の曖昧さが、科学的な確固とした根拠に基づく、より真実に近い知見として、社会に提供できるようになる機会が増えてくることだ。特に、ニセ科学と科学を見分ける「検証可能性」という点から言えば、コネクトームや脳マップというようなビッグデータは、証拠に基づいた検証を可能にするデータとして将来的には活用できるかもしれない。


(その7)実施してもよいのか? 

ヒトES細胞を用いる研究は、米国においては、主に宗教的な理由から、保守的な共和党の議員や支持者を中心に、反対論がある。ところが、民主党のオバマ大統領の提唱した脳研究については、共和党議員の積極的支持者も多く、ヒトES細胞を使う再生医療、創薬研究に見られるような極端な反対論はないといってよい。また、米国においては、バイオ系の研究や教育ではしばしば顕在化してくる進化論的世界観(対、創造説あるいはインテリジャント・デザイン)についての議論も、脳科学の研究に関する限りはあまり関係ないようだ。逆に、宗教、瞑想などを、脳科学から理解しようとする研究には協力的な宗教関係者も多い。つまり、オバマ大統領のBRAIN Initiativeは、政治的な意味では、非常に順調なものであると言ってよい。

動物を使った実験については、通常の生物医学研究と同じ倫理的観点はあるだろう。しかし、神経科学の場合、サルのような高等動物を使う必要性もある。更に、行動観察においては、実験動物が覚醒した状態での研究も必要になることから、動物実験倫理的な観点からの議論は深刻である。この点で指摘しておきたいのは、中国との関係である。最近も、マカクサルにCRISPR-CAS9を用いたゲノム編集技術を適用したという研究が発表された(http://www.cell.com/abstract/S0092-8674%2814%2900079-8)。サルを用いたこのような技術の利用は、米国内から中国に移りつつあるようだ。MITを始めとして、米国の脳関係の先端研究機関が、中国の研究施設との関係を深める理由は、実はこういったところにもあるのかもしれない。

脳研究の倫理的観点は、むしろ、このような研究が推進され、実際の結果が出てきた時、想像以上に大きな問題になることが予測される。ヒトのデータの収集にあたっては、個人情報の扱いなど、ゲノム情報の収集と同様な生命倫理が問われる。また、知能などの知・情・意とコネクトームの問題、コネクトームの男女、人種差などの問題、法廷の場での証拠としての脳マップの利用、脳マップと対応させることで思考内容を推定する装置、新しいニューロン刺激法によるマインドコントロールなど、これまで想定されなかった倫理的な問題が噴出することは容易に予想できる。しかし、こういう倫理的問題が生じるからといって、研究を停止するという議論は現在のところはほとんどないようだ。

脳科学の未来:今が大きな転換期
今回議論したように、様々な課題や問題があるものの、コネクトームや脳マップは、脳科学研究推進の基礎情報となるものである。反対論があっても、これらの情報は、次世代の研究者への財産にはなるのではないか、という見方は大方のコンセンサスであろう。一方で、今を生きる研究者からは、こういうプロジェクトに多大な研究予算を使うのは、研究の多様性やリスク分散の観点から、積極的に支持できないという感情論がでているのも事実である。ただ、現実には、研究費が増えることが話題になる分野には、多くの研究者が関心を持ち始め、その分野に研究者が更に集中するという誘導効果があるのは世の常であろう。まさに、一種の「バブル」が生じ始めている段階である(そして、バブルははじける可能性もある)。

世界的に見た場合、米国のBRAIN Initiativeに対応するものとしては、ヨーロッパ共同体EUのHuman Brain Project(https://www.humanbrainproject.eu/)が規模の大きなものである(図3)。また、中国のBraintome (http://www.brainnetome.org/en/)を始めとする様々な研究機関の脳科学研究は、予算的に恵まれ、米国でトレーニングを受けた研究者を多数集め、今後の飛躍的な発展が期待される。韓国では、Center for Functional Connectomics (http://cfc.wci.re.kr/english/portal.php)などが設置され、脳科学の研究活動が盛んになりつつある。その他、イスラエル、オーストラリア、シンガポール、他のBRICs諸国など、米国での動きに刺激を受けた脳研究が世界各地で始まっている。ただ、このような巨大な計画の常として、関係国の経済や政治状況に影響を受けやすいのも現実だ。例えば、EUのHuman Brain Projectの中核プロジェクトの1つであるBlueBrain(参考:ビッグデータ(2)脳科学データリソースの充実)は、EUには加盟していないスイスを拠点としている。2014年2月初め、スイスで行われた移民規制に関する住民投票の結果について、EUが懸念を示していることから、EUのHorizon 2020 (http://ec.europa.eu/programmes/horizon2020/)の支援を受けるこのプロジェクト進行にも影響を与える可能性が生じている。

一方、日本でも脳科学についての同様な研究計画は策定されている。しかし、世界の脳研究のこのような流れを紹介した米国で目にする英文記事の中では、日本の対応プロジェクトについて記述されていることが極めて少ない。少なくとも、筆者は個人的にそのような体験をしばしばしており、ショックを受けることがある。日本にも多くの優れた確立された脳科学研究施設、大学があり、卓越した脳科学者、神経科学者や、将来を担う若手研究者がいる。ところが、脳科学の転換期にあるというグランドデザインの点で、欧米からみて埋没している状態になっているのではないか、危惧されるところである。

ここでは具体的には論じないが、日本の神経科学研究においても、日本の学術界、科学技術行政の問題としてしばしば指摘されているのと共通する問題があるようだ。特に、革新的な技術を開発するために必要な他の科学分野との協力関係や人類全体への貢献という国際協力、科学外交の視点を忘れてはならないと思う。日本国内でのヒトゲノム計画の担当研究など、過去の大型バイオ系プロジェクトについては、経過と貢献度の検証と分析が多くの識者によってなされ、多様な批判があったのは周知の事実である。脳、神経科学研究推進においても、そのような過去の大型プロジェクトにおける反省を踏まえての実施が望まれる。そして、脳科学研究が、「アポロ計画」や「ヒトゲノム計画」のように夢ある人類にとって特別なプロジェクトであることが、もっと国民、特にあらゆる分野の科学研究者に認識されなくてはいけない。

こんなエピソードを最後において、この寄稿の終わりとしたい。ちょうど5年前になる2009年、筆者は、日本の神経科学系の某学会で、コネクトームとコネクトミクスに関する公開討論を含めたシンポジウムを開催するように要請した。ところが、これからの脳科学の未来を考える上で、大きな転換点となる特別な意義があるものとは、学会関係者にはなかなか理解されなかった。その数年後、「コネクトーム」という言葉は、世界的に広く使われるようになったのである。脳科学、神経科学は、今、大きな転換期にある。

(次回のブログの更新は、11月上旬を予定しています。)

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