わがまま科学者

米国ボストン在住の神経科学研究者のブログです。科学、教育などに関する雑多な私見、主張。1ヶ月に1度程度の更新予定。Twitter:@yamagatm3   研究者情報:https://about.me/masahito.yamagata/

Twitter:@yamagatm3   研究者情報:https://about.me/masahito.yamagata/

「私は教室の若い人に優れた研究者になるための6つの「C」を説いている。すなわち、好奇心 (curiosity) を大切にして、勇気(courage)を持って困難な問題に挑戦すること(challenge)。必ずできるという自信(confidence)を持って、全精力を集中(concentration)し、そして諦めずに継続すること(continuation)。その中でも最も重要なのは、curiosity, challenge, continuation の3Cである。これが凡人でも優れた独創的と言われる研究を仕上げるための要素であると私は考える。」
( 「独創的研究への近道:オンリーワンをめざせ」本庶佑 )

http://www2.mfour.med.kyoto-u.ac.jp/essay02.html


優れた科学研究は健全な精神から
3月末に出版されたNature Index 2017というネイチャー付録冊子の日本の科学研究が失速しているという記事についての反応というのが、いろいろな人からでています。
「 日本の科学研究はこの10年間で失速していて、科学界のエリートとしての地位が脅かされていることが、Nature Index 2017日本版から明らかに」
http://www.natureindex.com/supplements/nature-index-2017-japan/
http://www.natureasia.com/ja-jp/info/press-releases/detail/8622

kamome@goeland_argenteさん。


柳田充弘さん(2011年文化勲章) @mitsuhiroyana‏


確かに、 優雅な暮らしをして、のんびりやるというのは、多くの科学研究者の夢かもしれませんね。でも、科学研究者には、挫折もあれば、競争もある。いろいろあります。ストレスがたまります。

この2人の方の感想に共通するのは、科学研究者のメンタルな部分、ムード的なことの指摘なのだと思います。このメンタル、ムードというのは、なかなか理解されない。でも、科学研究というのが、研究者のメンタルな状態と密接に関係しているというのは、科学研究に関わった人ならわかると思います。

ところが、研究というのを、例えば、工場でマニュアル通りに製品を作ったりするような仕事のように捉えてしまうと、効率を求めたり、無駄を省く、間違いをしないということばかりを考えるようになってしまう。そして、PDCA( Plan(計画)、Do(実行)、 Check(評価)、 Act(改善))ということばかり気にするようになって 、メンタルな部分の自由さがなくなるわけです。

もちろん、私も、研究者のプロフェッショナリズムということも大切なので、こういうことを否定するわけではないですが、社会の大部分の人や日本の官僚(文科省、財務省など)や政治家、そして一部の研究者というのは、こういうことばかりを言っていて、科学研究のメンタルな部分についての理解が不足している、という印象があるのです。そして、実は、ここに、日本の科学研究政策、更には大学、研究所などの運営などについての、本質的な問題があるような気がするのです。

今回は、研究者が優れた研究をするために、健全な精神が必要であるという当たり前なことを、議論してみたいと思います。


メンタルな危機
芸術家、音楽家、思想家ですと、精神的あるいは身体的に危険な状態のなかで、優れた作品というのが生まれることがある。 モーツアルト、ベートーベン、シューマン、ベルリオーズ、ゴッホ、ニーチェ。。 でも、 生死をさまような状況や精神疾患のような状態で、科学的な大発見をしたなんていうのは、あまりないような気がします(サヴァン症候群のような例は別)。もちろん、全くないとはいえないでしょうが、しかし、これが、しばしば共通点も多いと言われる芸術と科学の大きな違いかもしれません。

最近の「SCIENCE」誌にオランダの大学院生について、精神的な状態の問題を調査した結果を発表した論文の紹介がでていました。半数の院生が精神的な困難さを体験した。3人に1人が精神疾患になる危険性がある。ということです。
http://www.sciencemag.org/careers/2017/04/phd-students-face-significant-mental-health-challenges

元論文:Work organization and mental health problems in PhD students
http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0048733317300422

おそらく、日本でも、米国でも、似たようなものだという印象があります。 それは、アカハラ、パワハラとか、そういう変なことでなくても、研究生活の中で、そういう状態になるということであると思います。また、院生だけでなく、学部生、ポスドク、あるいは若手の研究者にいたるまで、こういう状況というのはあるのではないでしょうか。

米国の主要な大学ですと、学内にクリニックを持っていて、もちろん、メンタルヘルスには多くの精神科の医師などがいたりしますので、そういう部分はかなり充実している。でも、ハーバードの場合など、こういうのが変なように利用されるということもあったりもするようですが。。
Researcher Challenges Court-Ordered Separation from Grad Student
http://www.thecrimson.com/article/2017/1/23/german-rubin-lab-lawsuit/

一般に、院生の体験するようなストレスというのは、「うつDepression」と関係するものであると思います。もちろん、他の精神疾患についても、そういうストレスの中で発症しやすくなっているということもあるかもしれません。予防、治療が大切なのは、当たり前であると思います。


怠けてる。逃げてる。心が弱い。
「うつ」というと、昔は、「 怠けてる。逃げてる。心が弱い。」というような見方をする人が多かったものです。最近は世間一般の見方も進歩してきているとは思います。

驚くのは、神経科学(脳科学)を専門にしている 研究者であっても、いまだに、そのような態度を取る研究者がいるという実態があるということです。こういう神経科学研究者は、一般人のうつ病については、進歩的な見解を示すふりをするのに、例えば研究者仲間や自分のラボのメンバーのこういうメンタルな問題については、一方的にメンタルなものを強調して励ましたり、バカにするというような態度を取る科学者がいます。究極は、うつ病は防衛本能 だという脳科学の仮説を持ち出して、こういう状態になっている院生や研究者を攻撃するような神経科学者がいることです。いわんや、「脳」 に馴染みのない科学研究者の「うつ」についての考え方というのもかなり醜いものがあると思います。

私は、神経科学、脳科学を研究する人(特に偉い人)が、自分たちの仲間(あるいはライバル?)である神経科学者をうつ状態に追い込んで、潰すということを平気でやっているということを見たり、体験したりしてきました。理研BSIなどでも、こういう話はよく聞きます。大学院では、院生をうつにしてしまう指導とか。そもそも神経科学や脳科学の目的というのは、どこにあるのか?ということだと思います。

日本神経科学学会のホームページから
「日本神経科学学会は、脳・神経系に関する基礎、臨床及び応用研究を推進し、その成果を社会に還元、ひいては人類の福祉や文化の向上に貢献すべく、神経科学研究者が結集した学術団体です。」
http://www.jnss.org/whats/

理研BSIのホームページから
「現代社会に深刻な影を投げかけているアルツハイマー病や精神疾患といった脳機能障害に対してその根本的な原因を解明することは我々の責務です。さらに、BSIで得られた基礎研究の成果を中長期的な視野で社会につなげることを重視し、産業界との連携にも取り組んでいます。」http://www.brain.riken.jp/jp/about/

こういうことであるのに、本来、脳研究を通じて社会に貢献しなければならない神経科学者が、神経科学者の仲間をうつにしてしまうというようなことは、とても変だと思うわけです。


うつは、研究者と研究を潰す
精神疾患の診断 マニュアルであるDSM-5では、うつ病の症状を9点挙げ、それを一定数以上満たせばうつ病の診断基準を満たすとしています。

1.抑うつ気分
2.興味・喜びの著しい減退
3.著しい体重減少・増加(1か月で5%以上)、あるいはほとんど毎日の食欲の減退・増加
4.ほとんど毎日の不眠または睡眠過剰
5.ほとんど毎日の精神運動性の焦燥または制止
6.ほとんど毎日の疲労感または気力の減退
7.ほとんど毎日の無価値観、罪責感
8.思考力や集中力の減退、または決断困難がほとんど毎日認められる
9.死についての反復思考


興味、喜びというのは、研究に必要な「好奇心」に関わっている。疲れていたら研究はできないし、思考力や集中力、決断、どれも研究のプロダクティビティに関わる重要な事項だと思います。うつ病、あるいはそれに近い状態では、研究能力が低下するというのは、明らかでしょう。つまり、良い研究をするためには、まず、こういううつ病の症状にならないようにすることが大切です。

こういう理由で、研究のプロダクティビティが落ちたところで、そういう院生や研究者には能力がないのか?ということを考えてみるわけです。 例えば、能力があるはずであった院生や研究者が、うつ病になったら、数年論文がでないからといって、研究者のキャリアを潰して抹殺してしまってよいものなのか?治療できれば、また創造的な研究を行うようになるかもしれないのではないでしょうか?

そして、日本でも、大学や研究所には、研究者や院生などのメンタルヘルスを、もっと重要視した方がよいのではないでしょうか。 一番大切なのは、教育や科学研究者がこういう問題について、理解するということであると思うのです。(米国においては、メンタルヘルスが充実していると思いますが、結局、SSRIの処方で何とかさせ、根本的な問題には取り組まないということがありますが)。


研究者のストレスと科学研究政策
研究者とメンタルということで言えば、もっと問題なのは、職業、働き場の「不安定性」ということなのだと思います。

安定したポストが見つからない。不安定なポストで食いつなぐ。ポスドク。非常勤。任期制。特任ポスト。。。

こういうのが、不安定性ということなのだと思いますが。。そして、不安定というだけでなく、不安ということがある。

いつ癌や難病になるかもわからない。。

こういう不安さがあると、人によっては、やはり挑戦的なことはできなくなる。守りにはいるような生き方、そして守りにはいったような研究ばかりを行うようになるわけです。ぎりぎり安全性を狙ったような研究を行う。

おそらく、日本の社会も高福祉にして、老後の心配は要らないということになれば、失敗を恐れず挑戦もできるという理想的な研究環境になるのかもしれません。。

私が思うのは、最近の科学研究政策とか、大学の政策とか、そういうものが、表層的な経済的な側面、つまり損得みたいなことばかりを考えて、実施されているということです。そして、研究者のメンタルな部分ということについての考慮にかけていると思うわけです。

この一つの原因は、文科省や財務省の官僚みたいな人が、非常に機械的な考え方をしているということに原因がある。一方で、学者の方も、成功した偉い人が、自分だけの体験とか、非常に個人的な狭い考えや経験で、全体を見ることなく、思いつきで施策のアイデアを出したりしているということもあるかもしれません。そして、そういう思いつきの施策に、常に見かけだけ新しいアイデアを探している官僚が乗りやすい。ある社会の決まりや仕組みがあるのは、何らかの理由があるからで、それに気づかず仕組みだけを表面的に変えてしまうと、その抑えていた理由を表に出してしまう、ということが起こることにもっと気づくべきでしょう。簡単にいえば、こういう偉い人というのは、思慮が浅いということです。

岸本忠三さんのアイデアが、大学教員の任期制みたいな施策になったということはよく知られています。岸本さんご本人も、やや後悔の念があるということでした。

競争原理「ひずみ」懸念 岸本忠三・大阪大学特任教授
「10年ほど前、政府の総合科学技術会議の議員を務め、任期制や成果主義などの競争原理を導入し、大学の運営費交付金を減らして競争的研究資金を増やすよう主張した。大学の教員が何もしなくても定年までいられるのはおかしいと考えたからだが、今は「本当に正しかったのかな」と思っている。」
http://mainichi.jp/articles/20150724/org/00m/070/013000c


科学研究で不幸になる
研究とは直接関係ないのですが、少し前に見て気になった記事。将棋の世界も、やはり競争が厳しく、ごく一部だけがプロとなって生き残る厳しい世界です。

将棋で不幸になってほしくない
http://news.yahoo.co.jp/feature/519
「「僕はプロになった子より途中で辞めた子の方が気になりますね。辞めた子の方に大きな責任を感じますから。曲がった道に進まないか、3年は目を離さないようにしています。だから毎年必ず自宅に呼ぶ。将棋と出会って不幸になってほしくない」」

研究業界でも、大学院を出て、博士を取っても、研究者になれなかった人もいるでしょう。私のように、一生、ラボを持つことなく、死んでいく人もいる。自分の限界を知り、業界から去っていく人もいる。

もちろん、生活が幸福なら、それはそれで諦めもつくでしょう。でも、生活も不幸で、研究者としてもダメだという人も多い。少なくとも、「先生」なるものは、自分の弟子が、研究者になっても、ならなくても、こういう気持ちで人の人生に接するという誠実な態度というのが必要であると、私は思います。

研究者には時間がない。自分のことだけを考えていればよい。そういう人も多いと思いますが。。やはり、「科学研究で不幸になってほしくない」と思います。


最後に
日本経済新聞にでていた生理研の岡田泰伸先生の寄稿記事の一部を紹介したいと思います。

学術振興こそ日本を繁栄させる
総合研究大学院大学学長 岡田泰伸
http://www.nikkei.com/article/DGKKZO14451620U7A320C1KE8000/
ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーーーーーーー
2000年以降に17人の日本人がノーベル賞を受賞したことで、我が国の学術研究力の高さが誇れる状態にあると人々は誤解している。これらの成果はあくまで20〜40年前に得られたものだ。

日本の人口当たり論文数の世界順位は2000年以前の15〜16位から13年には37位に転落した。台湾や韓国だけでなく、クロアチア、セルビア、リトアニアといった東欧諸国にも抜かれた。日本の研究力は00〜03年をピークに低下し、現状は無残ともいえる状況にある。

その中核的原因は予算の減額だ。国立大学法人運営費交付金は04年度から毎年1%減額され、その影響は若手教員と基盤的研究費に顕著に表れた。10年前は若手教員の約63%が任期なしだったが、今や約65%が任期付きになった。不安定な処遇を目の当たりにして博士課程への入学者数は04年度比で約19%も減った。

教員は研究費獲得のための外部資金の申請や成果報告に追われ、落ち着いて研究することが困難な状況に置かれた。こうした中で20世紀にはほとんどなかった研究不正が多発し始めた。黒木登志夫博士(前岐阜大学長)によると、研究不正や誤った実験などによる撤回論文数の多い研究者ワースト10に日本人が2人、ワースト30には5人が入っていて、国別の論文撤回率で日本は5位にランクしている。

ー引用終わりーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

要するに、研究者や大学院生の「メンタル」な部分への影響が原因であると言っているのであると思います。

冒頭の本庶先生の「好奇心 (curiosity) を大切にして、勇気(courage)を持って困難な問題に挑戦すること(challenge)。」を、研究者、特に若い人達が、実行し、良い研究をするには、どのような社会が望ましいか。是非、議論して欲しいと思います。もしかしたら、日本の研究者は現在、多くの人がうつに近い状態になっていて、こういう研究者や院生のメンタルヘルスの問題に真剣に取り組めば、日本の論文数というのも増加するかもしれません。

slump_bad_woman_write

karoushi_hakui_man

私は長期間にわたって、日本国内だけでポストを探してきました。しかし、うまくいくことはありませんでした。

現在、私が過去において経験してきたことを中心にして、「日本の大学や研究機関の人事を斬る」ということで、以下のような内容でブログを作製中です(最終的には、具体的な大学名などを入れて公開します)。文章になるのは、しばらく先になると思いますが、これを見て、こういう問題もあるのではないか、というような点があったら、是非、知らせていただければと思います。直接メールを送付してくださるか、下記のコメント欄に書き込こんでください。

1. 大学教員の世代間格差と同世代の不公平感
昔のシステム(終身雇用的)と新しいシステム(任期付)が共存していることによる社会矛盾。
世代間格差は許容できるだろうが、同世代での不公平感は問題。

2. ローカル・ルール
応募意欲を著しく削ぐ公募。応募書式の機関ごとの様式や提出書類による応募妨害。
郵送料が高くて海外から送付できない。
応募意欲を削ぐことで、出来レースを達成するのが目的なのではという強い疑念。
こういう応募の妨害行為は文科省が大学等を指導して止めさせるべき。
全国共通の書式を作り、電子的に応募することを基本にするべき。
人事選考プロセスの不透明性。最初の応募はできるだけ多くの人にしてもらうのがよいのでは。
絞られた段階あるいは決まった段階で、正式な書類を作製すればよい話。
海外からの応募を妨害するというのは、国際化などナンセンスだと言っているようなもの。
海外から候補者をジョブトークに呼ぶ場合、旅費が支払えないのなら、スカイプ等によるインタビューも可能。出来レースなのに当て馬のように使って、旅費や研究時間を無駄にさせる負担を強いるのはやめてほしい。
こういうローカルルールが改善できないのは、学長のリーダーシップがないから。

3. 誰が人事の責任者なのか?
誰が研究者の育成あるいは失敗の責任を持つのか?
公募の応募に関するやり取りに、「責任者」の実名がないという非常識。
常に「責任者」を曖昧にして、責任を回避しようとする日本のシステム。
(学校教育法を無視した)講座制の問題。
大学等の運営を妨げる「居座り教員」(教授退官後も学科に准教授などとして留まる)の出現はなぜなのか。
チェア(学科長など)の運営評価(人事と育成)という観点がない。
リーダーシップやメンタリング能力を評価せよ。
テニュア獲得や昇進に失敗する研究者が続出すれば、それはリーダーシップの責任でもある。
リクルートする研究所長がジョブトークに来ているのに、挨拶がないという不可解な体験。
ジョブトークの際に、候補と関連した分野の教員の紹介がないといった扱いは、インタビューとして問題があるのでは(米国なら、学科の主だった教員と、個別の会話の時間が設定されるのでは。少なくとも、挨拶が全くないというような事務的な試験のような扱いは、研究者の扱いとして変であると感じる)。
人事についての疑問は、責任者が堂々と対応、説明できるものであるべき(例えば、公募人事が内部昇進に利用されるとか、言い訳ばかりでは説得できない)。

4. 不透明な人事:なぜ隠そうとするのか?
なぜジョブトークを公開しないのか。
推薦者に連絡を取らず、推薦者が活躍する機会を与えない。
多くの応募者に話を聞くべき(論文、推薦、評判だけでは判断できない学術的背景もある)。
コネ人事では非公開情報をつかんでいる(まもなくアクセプトされそうな重要論文があるなど)。
コミュニティのネガティブな意見は慎重に扱う必要がある(ネガティブな意見を広めて、自分の関係者を推す、あるいは自分自身の既得権益を守ろうとする研究者が多数存在する)。
日本国内で誰がジョブマーケットにいるのか、わからない。これを明確にするべき。
売り出し中の研究者を確実に短期間に処遇することで、無駄なく研究に集中させることが重要。
いつまでも処遇しないと、モチベーションや勢いを失わせる。うつになり、研究への好奇心を失う。
職探ししている人を隠し誤魔化そうとするコミュニティの存在。
なぜ決定された人事を正式な着任まで隠すのか。
既成事実を作ってしまうことで逃げ得なコネ人事ではないのか。
例外的に公開するケースもあるが、大抵、超スター級研究者の場合である。
権力者が一方的に得するための人事。

5. 潜在的な「出来レース」
護送船団方式になっている大学や研究機関のヒエラルキー。
実は、研究者のコミュニティが制御している。
これでは、大学間のリクルート条件提示などによる競争が起こらない。
応募者にはポスト選択の自由を与えない(複数オファーを出さない)。
国内の大学の序列は永遠に守られる。
権力者が人事を通じて権力を確認、誇示するためにあるのではないか。
出来レースの本質は、例えば出来レースをやってリクルートしたという新任教員の「弱み」を握ることで、後で指示に忠実で従順な研究者をコミュニティに取り入れるという権力構造が背景にあるのではないか。
国内研究者について、研究者配置の最適化という観点はあっても、敢えて「競争的な状況」を作るという配置もあってよい(学問上の競争者が、同じ大学や研究機関にいるというような状況を作る)。

6. テニュア制の本質を理解していない日本型「擬似」テニュア制を考える
講座制やコミュニティの力を借りる日本型擬似テニュアトラックの問題。
講座制内部や関連講座(同門、仲良しクラブ)での業績をカウントするのは、ギフトオーサーシップ(研究不正)を蔓延させる。
米国の場合は、過去のPIとの共著論文はテニュア審査の業績としてカウントされないのが基本。
日本のやり方では、個人の研究の力量を測るのではなく、ギフトオーサーシップの作り方など、「コネの多さ」といった研究の本質とは違う要素を測ることになる。
研究者個人の力量を育成しないことになり、研究者の独立性を促進しない。
ただ、米国のテニュア制にも科学研究推進の観点からは問題が多い。

7. 日本の人事過程と手法は時間の無駄。研究者を潰す。
人事など1時間もあれば決定できるのではないか。
少なくとも絞り込むのは簡単。
できないのなら、そんな選考委員は能力がないので首にするべき。
なぜ数ヶ月も要するのか?
コミュニティで調整して複数のオファーを出さないため。
応募してきた他の候補者を他に誘導するといった「人事のゲーム」をやっているのだろう。
助教授人事決定までに2年近くを要した非常識な人事を体験。
人事は、教育や科学研究推進のために行うべきであって、「ゲーム」や「いじめ」は不要。
一番簡単なのは、「出来レース」のように人を騙すというような不誠実な手法を使わず、直接リクルートすることなのでは。

8. 人事は民主的であるべきか。
「大学自治」と学長人事の問題。
なぜ医学部、工学部出身の男性学長ばかりが誕生するのか。
権力志向の強い医学部、工学部出身の男性学長が問題を起こす日本という国。
なぜ女性の学長が少ないのか。特に、文学部出身の女性学長の出現はかなり困難。
(社会を変えたくないだけの構成員による)多数決では、社会は変わらないので、理事会がもっと多様性の観点から学長人事を行うべき。
これは、通常の人事、アファーマティブ・アクションを「責任者(チェア)」が行うということにも関係している。

academist Journalというのは、学術系のクラウドファンディングサイト「academist」のウェッブマガジンですが、この2ヶ月くらいの間、このサイトに記事を書かせていただきました。今年、発表した研究を中心に、最近の(少し遅れ気味の)神経科学の動向などにも触れながらの不肖わたくしが書いた雑文です。ちなみに、Biology5.0というのは、今年から始まった日本政府の第5期科学技術基本計画の中で提唱されているSociety5.0のパロディです。

脳望遠鏡:Biology 5.0で脳に挑む(1)
https://academist-cf.com/journal/?p=2363
Biology 5.0
私のコネクトーム

脳望遠鏡:Biology 5.0で脳に挑む(2)
https://academist-cf.com/journal/?p=2417
コネクトームと化学親和説
神経回路の相棒をつなぐSidekick
分野融合アプローチでわかった化学親和力を高める新しいメカニズム

脳望遠鏡:Biology 5.0で脳に挑む(3)
https://academist-cf.com/journal/?p=2631
神経細胞同士のつながりを可視化する
神経科学研究イノベーションの鍵:生物多様性と合成生物学

脳望遠鏡:Biology 5.0で脳に挑む(4)
https://academist-cf.com/journal/?p=2838
特定ニューロンをターゲットにした超微形態観察法
ロボティックスとITを使ったBiology5.0へ


Fig3-bio5


2年ほど前に「日経バイオテク」で書いた連載記事もご参考下さい。
http://masahitoyamagata.blog.jp/archives/1970798.html

1年ほど前になりますが、「日本の大学院(研究系)改革の私案」というブログを書きました。その最後で、「 では、その財源をどこから出すのか?」ということで、考えてみたいと書きました。今回はこのことについてです。
日本の大学院(研究系)改革の私案
http://masahitoyamagata.blog.jp/archives/2056103.html

米国の一流大学の豊かさ
私はハーバード大学にいるのですが、世界で最も有名な大学の一つであるというのは多くの人が認めるのではないでしょうか。もっとも、お金があるわりに大したことをやっていないのではないか、という批判もあると思いますが。。

以下はハーバード大学の金持ち度の説明ですが、円ドルの為替相場や年によっても変わるので、大雑把な話として理解してください(つまり正確な数字ではないと言うことですが、およそそういう感じということです)。ハーバード大の場合、寄付金を集めてきた「大学基金」は、大学基金としては世界最大で3-4兆円あると言われています。そして、それを運用して、お金を稼いでいます。大学基金というのは、世の中にある投資資金としてはユニークなもので、その運用も独特なものがあると言われています。

ところが、ハーバード大学の場合、今年は大学基金の運用に失敗して、2%のリターンしかでなかった。こんなリターンなら、何もせずに銀行に預けておいた方がずっとよかったのではないか、ということで、運用担当者の報酬が減らされたということです(運用担当者の年収が数十億円あると言われている)。しかしながら、数年前には、15%のリターンがあったということですから、3-4兆円の15%ということですと、5000億円というようなリターンが1年にあるわけです。そして、こういうお金は大学がほとんど自由に使えるというわけです。ちなみに、日本の日本学術振興会の科学研究費補助金の総額が年額2500億円ということですから、一つの大学の大学基金の運用だけでそんな規模のお金を稼いだり、失ったりしているというのが、ハーバード大学の実態ということになります。

大学基金について(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/大学基金

ハーバード大学基金(英語)
http://www.harvard.edu/about-harvard/harvard-glance/endowment

ハーバード、イェールが高利で運用できる理由(大学基金運用の特徴)
http://toyokeizai.net/articles/-/84763

ハーバード大:寄付基金の一部職員に報酬満額支給せず−運用不振で
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2016-11-29/OHDOM06KLVRL01

ハーバード大学は巨大投資ファンド
http://madeinjapan13.hatenablog.com/entry/2013/11/14/022958

ハーバードはじめ名門教育機関は「教育」で儲けていない
http://www.r-agent.com/guide/news/20110929_1_4.html

多額の寄付を競う
[Naito Laboratory @ Harvard University]

そして、こういう基金に入るお金だけでなくて、もっと使用目的を指定したような寄付も多い。大富豪が何百億円というお金を寄付してくれる。最近では、 公衆衛生大学院(HSPH)に367億円の寄付があったというのが話題になりました。公衆衛生大学院は、この寄付で、その大学院の名前に寄付者の名前が付くことになりました。更に、その後、それを上回る500億円という大口の寄付で工学部に相当するSEASという大学院にその寄付者の名前が入るようになりました。大学内では、ほとんどの建物や偉い教員のタイトル(いわゆる「Named Professor」)にそういう寄付者の名前が入っているわけです。科学系でいうと、ハーバードのChemistryの研究棟には、Naitoという名前が付いていますが、これはエーザイ関係の寄付です。こういうのは、日本の球場やスタジアムの命名権みたいなものなのでしょう。

ハーバード大に史上最大の寄付367億円、超大型寄付相次ぐ背景
http://media.yucasee.jp/posts/index/14300

ポールソン氏がハーバード大史上最高額の500億円寄付
http://media.yucasee.jp/posts/index/14757

ハーバード公衆衛生大学院
https://www.hsph.harvard.edu

ハーバードSEAS
http://www.seas.harvard.edu

アメリカは寄付金が多く、日本は寄付金が少ない(ハーバード大学公衆衛生大学院 留学記)
http://blog.livedoor.jp/harvard_mph/archives/2895077.html

米国の寄付文化
大富豪が、数百億円という寄付を次々としてくれる。公衆衛生大学院への寄付の場合は、香港からの寄付ということですが、こういうのも米国で盛んな大学等への寄付行為に触発されて行われるのではないでしょうか。日本に比べて、米国でこうした寄付が盛んなのは、大富豪が本当に大富豪であること、卒業生がそういう大富豪になっていること、税制の違い、大学の事務や教員などを動員してのキャンペーンがあるでしょう。ハーバード大学の場合、寄付集めに関わる事務員が約500人いるということです。そして、特に、おそらく宗教に背景をたどることができる「寄付文化」というのもあるのでしょうね。キリスト教は博愛の宗教であるということなのでしょうが、その起源は特に富豪が多いユダヤ人の旧約聖書にもある1/10の寄付の記述にあるのでしょう。

旧約聖書の「申命記」(口語訳聖書より引用)
「三年の終りごとに、その年の産物の十分の一を、ことごとく持ち出して、町の内にたくわえ、 あなたがたのうちに分け前がなく、嗣業を持たないレビびと、および町の内におる寄留の他国人と、孤児と、寡婦を呼んで、それを食べさせ、満足させなければならない。そうすれば、あなたの神、主はあなたが手で行うすべての事にあなたを祝福されるであろう。」

Divinity School@ Harvard University

ところが、日本の場合、大富豪というのもそんなに多くないし、こういう寄付文化というのがない。こういうのを変更しようとしたら、税制の大幅な改革も必要でしょうが、日本でキリスト教・ユダヤ教を布教して、多くの人をこういう宗教に改宗するということをやらないといけないでしょうね。でも、そんなことはできるわけがないのです。

つまり、日本の「寄付文化」の熟成に期待するような大学や学術発展のための施策はうまくいくはずがないと思います。こういう期待に基づくような施策は諦めてやめるべきではないでしょうか。

国からの交付金減額 寄付金集め、国立大も力
http://www.nikkei.com/article/DGKKZO08501420Y6A011C1TCN000/
「ハーバード大は約500人のファンドレイザーを抱えているという。片や日本の国立大は、寄付募集の専門人材は数人という大学が大半だ。」(日経記事から引用)

日本で人材育成、研究のための国債を
もちろん、ハーバード大学の場合、こういう寄付も大学の教育や研究を動かしているお金の一部です。本当は高額だといわれる学費、研究のための研究費(NIH、NSFとか、民間財団の研究費、そしてそれらの間接経費など)もあります。そして、優秀な学生さんが学費を支払うことができなければ、それを完全に支援することができるのも、こうした豊かで自由に使える資金の存在があるわけです。

最近の日本の大学には、お金がないという内容のニュースが連日のようにでてきています。私は、もちろん、日本の大学の構成員や学長などを含めて、守ろうという姿勢ばかりが強くて、攻めようという意識に欠けるような運営のあり方に根本的な欠陥があると思っていますが、でも、やはり使えるお金の絶対量が不足しているというのは事実なのだと思います。

ところが、最近、興味深いニュースを見かけました。人材育成目的の「国債」を自民党と野党である民進党が提案しているということです。細かな点では違いがあるのかもしれませんが、新しいタイプの国債を、与野党が検討しているという点で注目すべきであると思います。

自民 教育財源に無利子国債検討など提言案(リンク切れ)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161127/k10010785701000.html
「自民党の教育再生実行本部は、格差の克服に向け、教育への投資を充実させる必要があるとして、いわゆる「無利子国債」も新たな選択肢の一つとして検討することなどを盛り込んだ提言案をまとめ、近く安倍総理大臣に提出することにしています。提言案では「格差克服のための教育投資として、経済的負担の軽減や学校の教育力の向上、家庭や地域での取り組みへの支援などを総合的に推進する必要がある」としています。そのうえで、必要な財源を確保するため、利子をつけない代わりに相続税などを軽減する「無利子国債」の発行を新たな選択肢の一つとして検討するとともに、将来的に消費税の使い道に教育を明確に位置づけるべきだとしています。」(リンク切れのため、NHKのウェッブサイトから引用)

自民党 教育再生実行本部 第七次提言
https://www.jimin.jp/news/policy/133741.html

第39回 教育再生実行会議 配布資料
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouikusaisei/dai39/siryou.html

民進 大学までの教育無償化を衆院選公約に(リンク切れ)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161201/k10010790781000.html
「骨格案は、安倍政権の経済政策を根本的に見直して、子どもや若者、それに女性に重点を置いた「人への投資」に転換するとしていて、幼稚園などの就学前教育の費用や、小・中学校の給食費、それに大学の入学金や授業料などを無償化することで、「教育の無償化」を実現するとしています。そのうえで、必要となる財源として、子どもに関する施策に使いみちを限定した「子ども国債」という新たな国債発行による収入や、所得税の配偶者控除を原則として廃止することによる増収分、それに消費税率を10%に引き上げた際の1%分の税収などを明示しています。」(リンク切れのため、NHKのウェッブサイトから引用)

日本では、財政法第4条によって、建設国債の発行が行われて、建設、例えば新幹線や高速道路などの建設目的に使われてきました。ところが、1990年代の科学技術基本法の策定のころから、建設国債の一部が、科学技術研究も公共投資であるという立場からJSTなどの研究に使えるようになったのです。この裏技を始めたのは、今年亡くなった加藤紘一氏とか、尾身幸次氏などの尽力によるものと思います。ただ、建設国債であるために、研究の「応用」志向が高まったという弊害もあったのではないか、と思います(基礎科学研究者の立場から)。
https://ja.wikibooks.org/wiki/財政法第4条

もちろん、国債というのは、借金なのですから、国民の一部には、新しい国債の発行には非常に嫌悪感を抱く人たちがいるのも事実です。ただ、少し冷静に物事を考えてみる必要があると思います。

国の借金1062兆円 「国民1人当たり837万円」の誤解
https://zuuonline.com/archives/130370

「国債が借金であることは事実であるが、それは形式的な議論でのみ妥当するのであり、国債とは本質的には、総支出(総需要)を調節するための手段でしかないのだ。」(ラーナー「雇用の経済学」)

つまり、国債の発行もそんなに悪いことではない。最近の新しい新幹線はよくわかりませんが、例えば東海道新幹線を国債で作ったことに意味がなかったとする論者はほとんどいないのではないか、と思います。特に、人材育成として、日本の未来の投資になるような借金なら、「百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる」とした米百俵のお話ではありませんが、悪い話ではないでしょう。実際、日本には、活用されずに眠っているだけのタンス預金が多量に存在しており、こういう国債なら購入してみたいという人も多いようです。

自民党の提案、民進党の提案の具体的な内容はまだよくわかりません。おそらく検討段階でこれから議論して煮詰めていくのでしょう。財政法第4条の改正により、建設国債だけでなく、教育目的の国債を発行できるようにするということなのだと思います。ただ、残念なのは、現在の議論では、その支援対象が、大学までになっているのではないか、ということです。

私が今回提案したいのは、この国債による財源を使う対象として、大学というより、「大学院の無償化、支援(学生を研究者として給与支給)」、「大学の運営(運営費交付金)」、更に「科研費の助成対象となる基礎研究」にも使えるようにしていただきたいということです。民進党が提案するように「子ども国債」なんていう名前をつけたら、大学院や基礎研究には使えなくなりますね。未来への投資なのですから、やはり福祉的な使用というより、真に将来性のあるところ、つまり先端の研究や人材育成への投入を優先してほしいと感じます。つまり、学生のレジャーランドとなっているような大学に金をばらまくより、トップクラスの大学院に金を投資した方がよいのではないか、ということです。

おそらく、大学の研究者などが、私の主張しているような内容、つまり「大学院」「基礎研究」にも、ということをもう少し声を上げれば、新しい国債でサポートする項目のなかに、こういうものも入れることができるのではないか、と思うのです。今がチャンスであると思います。数兆円規模の財源が確保できたら、競争的な科研費の年ごとの総額を現在の2500億円から倍増したり、日本の大学院や大学の現状というのは劇的に変わると思うのです。そして、これが、大学院生の支援に使えるようになるのではないか、ということです。




ハーバード大学の秋の風景

今年は、大隅良典先生が、単独でノーベル生理学・医学賞を受賞することになりました。私も、大隅さんのラボがあった愛知県岡崎市の基礎生物学研究所(基生研・きせいけん)で助手をやっていましたので、大隅さんとは同じ建物の中で研究していました。お話を直接したことはありませんでしたが、基生研の建物の中や、大隅さんの自転車での通勤時にも、しばしば、 お見かけしていました。ということで、今回は、世の中で多く報道されていることとは違った観点から、僭越ながらコメントをしてみたいと思います。

過去のインタビュー等のリスト
まず、大隅さんのインタビューや記事で、私も共感することが多い日本の科学研究政策、教育等の現状について触れているものを中心に、リンク先を資料として、まとめておきます。(今後、適宜更新していく予定です。)







  • 2016年12月21日総合科学技術・イノベーション会議(第24回)
    私の研究歴から 基礎科学の振興に向けて−
    一細胞生物研究者の個人的見解 − (PDF形式)

http://www8.cao.go.jp/cstp/siryo/haihui024/siryo3-3.pdf
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今年も神経科学の賞
去年の大村智さんのノーベル賞は、線虫のシナプスの機能を阻害する薬剤の開発ということで、実は、「神経科学」の賞であるということを、去年、書きました。
http://masahitoyamagata.blog.jp/archives/2053972.html

実は、今年の大隅さんの賞も、ノーベル委員会の受賞理由を見ると、最後のところに、神経変性疾患である「パーキンソン病」などの治療に役立つというようなことが書いてある。安倍首相も言っていました。
http://www.asahi.com/articles/ASJB43275JB4UTFK001.html
安倍晋三首相「先生の研究成果はがんやパーキンソン病など難病に苦しむ世界中の人々に希望をあたえる。。」

つまり、今年の賞も、「神経科学」の賞ということなのでしょう。やはり、神経科学は、ノーベル賞の対象になりやすいということなのかもしれません。でも、これは、全く予想外にそうなったということが大切なのだと思います。

「植物学者」の賞
でも、大隅さんは、その所属学会を見ると、日本の生化学会、分子生物学会、細胞生物学会、米国のASCBの他に、日本植物学会、日本植物生理学会ということです。日本植物学会と日本植物生理学会も、それぞれコメントを出しています。

日本植物学会のコメント
http://bsj.or.jp/jpn/members/information/2016.php
日本植物生理学会のコメント
https://jspp.org/prof_ohsumi.html

ノーベル生理学・医学賞の対象者が、「植物」の学会で活躍されていたというのは珍しいという感じがします。大隅さんのインタビュー記事の中にこんな文章がありました。
http://diamond.jp/articles/-/103723
「今回の研究の始まりとなった液胞というものに注目したのは、私が東京大学理学部の植物学教室にいた影響が大きいと思います。液胞はめちゃくちゃ面白いんですよ(笑)。」

生命誌博物館のHP。
http://brh.co.jp/s_library/interview/62/
(以下のリンクはウェッブ魚拓のCacheから)
http://megalodon.jp/2016-1004-2000-58/brh.co.jp/s_library/interview/62/
「エーデルマン研で酵母細胞から核を単離する実験をしていた時、捨てるつもりの上澄み液にきれいに濃縮されているオルガネラ(細胞小器官)の層があることに気づき、顕微鏡で見てそれが液胞だとわかり驚いたことがあったのです。私はもともと顕微鏡観察が好きで、酵母では光学顕微鏡で見ることのできる唯一のオルガネラである液胞を面白そうだと思っていました。」

つまり、オートファジーの場である液胞に注目したのは、植物をよく知っていたからということでしょうか。

バイオ系の研究者のキャリアとして、例えば理学部、農学部などの出身者が、植物の研究を行っています。実際に、こういう学部では、植物の研究が盛んに行なわれているわけです。もちろん、植物が好きで、そういう研究者になりたいということでよいのです。ところが、「植物」を研究対象として選ぶというのは、科学者のキャリアとしては、ノーベル賞を取るのを諦めるというような選択でもありうると思うのです。つまり、ある意味で科学者の人生の一部を捨てるようなイメージさえある。現実に、私の知っているある植物系の研究者の方からは、動物から植物に研究対象を変えようとした時、動物研究の大御所の先生から大きく反対されたなんていう例も聞いたことがあります。

もちろん、トウモロコシの動く遺伝子の研究をしたマクリントック、あるいは光合成関係でノーベル賞がでている(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89%E5%90%88%E6%88%90)。あるいは、植物から取られたアスピリンの作用のような研究もそういうものなのかもしれません。また、酵母(酵母、キノコを含む菌界は、細胞壁があるので昔は植物に分類されていた)では、今世紀に入って、5人ほどがノーベル賞を受賞しているという記述も見かけました(2001 cell division cycle, 2006 RNA polymerase, 2009 Telomeres, 2013 vesicle traffic, 2016 Autophagy)。でも植物そのものの研究でノーベル賞というのは珍しいし、今回のオートファジーのように動物にも関係しているような普遍的な現象でないと、ノーベル賞の対象となる研究というのは、ほとんどありえないような気がします。

大隅さんは、東大の植物の教室におられた。そういう意味で、植物を研究材料として選ぶような科学者のキャリアとしても、とても示唆的です。植物細胞では、高校の生物の教科書をみると、液胞が発達していると記述されている。液胞というのは、動物細胞だけを見ていたら、あまり印象に残らない。まさに、植物に馴染みがあったから、オートファジーの研究に気づいたということでしょう。

医学部などの出身者ですと、植物というのは、あまり本気で勉強しないと思うのですが、こういうのも、実に興味深いと思いました。つまり、植物を知っている強みが、結果的に医学に役立ったということです。やはり、いろいろなバックグラウンドがある研究者が、いろいろやるということが大切であると思います。

所属機関と混ぜること
アメリカですと、例えば、大規模な大学基金を持つハーバード大学がノーベル賞を受賞しそうな研究をやっているような他大学の研究者を、高報酬などの好条件を提示して、堂々とリクルートするというのをよくやっています。そして、そうやって移籍したハーバード大学所属の研究者がノーベル賞を受賞したということになれば、ニュースなどで報道されてハーバード大学の評価が高まるということになるわけです。

大きな成果を発表する直前に、NAISTから京大に移籍した山中伸弥さんの例もありますが、日本では、これまでこういうのはあまりなかったので、やはりある研究者がいた場合、所属する研究機関とその研究者が単純な形で結びつきやすかった。また、定年退官などで、有力国立大学から他の大学に移っても、移籍先の大学が、小規模の私立大学だったりして、有力大学名誉教授などとして、やはり移籍前の国立大学の名前が表にでてくるというケースが多いと思います。

ところが、今回、大隅さんの所属が、有力大学である東京工業大学ということで、連呼されて、大きく報道される。そして、世間的には東京工業大学の評価や好感度が上がるということになるわけです。

しかし、学術的には、大隅さんの研究の最初の部分は、東京大学で、また、その後の研究は、教授となった岡崎の基礎生物学研究所で発展させたということは大切であると思います。

ノーベル賞委員会の発表では、特に重要な論文として、4報を紹介しています。
http://www.nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/laureates/2016/press.html

Takeshige, K., Baba, M., Tsuboi, S., Noda, T. and Ohsumi, Y. (1992). Autophagy in yeast demonstrated with proteinase-deficient mutants and conditions for its induction. Journal of Cell Biology 119, 301-311

Tsukada, M. and Ohsumi, Y. (1993). Isolation and characterization of autophagy-defective mutants of Saccharomyces cervisiae. FEBS Letters 333, 169-174

Mizushima, N., Noda, T., Yoshimori, T., Tanaka, Y., Ishii, T., George, M.D., Klionsky, D.J., Ohsumi, M. and Ohsumi, Y. (1998). A protein conjugation system essential for autophagy. Nature 395, 395-398

Ichimura, Y., Kirisako T., Takao, T., Satomi, Y., Shimonishi, Y., Ishihara, N., Mizushima, N., Tanida, I., Kominami, E., Ohsumi, M., Noda, T. and Ohsumi, Y. (2000). A ubiquitin-like system mediates protein lipidation. Nature, 408, 488-492

この中で、一番大切な最初のJCB(1992)、FEBS letters(1993)の研究が、東大で行われ、発表されたもの。そして、残りの2報(Nature)が、岡崎の基礎生物学研究所で行われたものということです。そして、2006年に日本学士院賞、2008年に朝日賞を受賞されています。

その後、2009年に、基礎生物学研究所を定年退官され(基生研名誉教授)、東工大の特任教授になられております。つまり、主要な研究を東大と基礎生物学研究所で行った後、所属だけが東工大になった。これには、御自宅などの様々な理由があるようですが、やはり、こういう場合、本当に研究を育くみ、研究が実施された場所が、大切に扱われるべきだと思うのです。ところが、日本の場合、東工大に比べて、基礎生物学研究所とか、その大学院組織である「総合研究大学院大学」というのが、一般には知名度がないためか、そういう扱いがほとんどないのです。これは、少し残念なことだと思います。

しばしば、ノーベル賞受賞者には「系譜」があると言われています。大隅さんのメンターは、今年5月に亡くなった日本の生化学の名伯楽の一人である今堀和友博士(1920-2016)、免疫グロブリンの構造研究でノーベル賞を受賞したGerald M. Edelman博士(1929-2014)(後に、動物の細胞接着の研究や神経科学の理論でも活躍)、そして安楽泰宏博士ということですが、こういう方々の影響も大きかったのでしょうか。

報道でも、東京大学の駒場(本郷ではない)キャンパスの話を見かけました。東大は、ノーベル賞の数が多い京大などに比べて、やや影が薄いという印象がありました。もちろん、理学部からは、物理学賞を出したりしていますが、素粒子関係の研究は、金と政治力といった背景のもとで、その代表者が受賞したという感想を持っていました。今回の大隅さんの研究は、東大で萌芽したものとして、そういう文化や背景があったということを印象づけます。

大学などでは、動物学教室と植物学教室というのを、明確に分けたような組織運営がしばしばみられます。ところが、基礎生物学研究所の組織というのは、そういう分け方をしていません。主に動物を材料とする研究室、植物を材料とする研究室、細菌を材料とする研究室、そういうのを一緒の組織に入れてしまう。植物学教室という場所にいれば、必然的に動物は扱いにくくなるでしょう。こういう混ぜるという組織運営の存在も、大隅さんの基礎生物学研究所での研究活動に影響を与えたのかもしれません。



私が思うこと、若者へのメッセージ
1 自分の興味、抱いた瞬間を大切にしよう
2 長い人類の歴史の中で考えよう
3 はやりを追うことはやめよう
4 競争だけが科学の本質ではない
5 ”役に立つ”とは何かを考えよう
6 人と違うことを恐れずに、自分の道を見極めよう
7 短期的だけでない、長い研究課題を育てよう
8 自分の小さな発見を大事にしよう。論文やあふれる情報からではなく、自然、現象から出発しよう
9 自分の研究の理解者(ファン)を、できるだけ周りに作ろう

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